【ホツマの論点】立皇嗣の礼 <112号 令和2年12月>
令和二年十一月八日、立皇嗣宣明の儀(りっこうしせんめいのぎ)を要とする立皇嗣の礼(りっこうしのれい)がつつがなく執り行われました。第126代天皇徳仁さまが秋篠宮文仁親王さまの立皇嗣を国の内外に宣明した皇室儀礼が、厳かに齋行されましたことを心よりお慶び申し上げます。
しかしながら、いにしえを践めば「立皇太弟の礼」として行えば良いものを、敢えて「暫定的」皇位継承一位とのイメージ操作を加えての儀礼とした政府の手法には、腑に落ちないものを感じます。立皇嗣の礼は退位の礼(第125代天皇明仁さまの退位に伴う儀式、中心儀式:退位礼正殿の儀)と同様、憲政史上初めて行われる皇室儀礼となったわけですが、そもそも「譲位」を「退位」と歪めて儀礼を執り行った流れに乗る皇室軽視のはかりごとなのではないかと胸騒ぎを禁じ得ません。
さて、ホツマ伝承では、皇太子を「すめらをみこ」「すへらのみこ」「すへらきみこ」あるいは単に「すめみこ」や「をみこ」と称しています。一方で「おとみこ」の表現はあるものの「皇太弟」を示す言葉は見当たりません。それもそのはずで、ホツマが伝承する時代において兄弟同士の皇位継承はみられなかったからです。
皇位の兄弟継承の始まりは、第18代反正天皇からであり、第16代仁徳天皇の皇位を継承した長男の第17代履中天皇の後を受けて、三男のミズハワケ(反正)が皇太弟となりました。次男を飛ばして三男となったのは、次男が長男の履中に謀反をおこして誅殺されたからです。ヤマトタケの急逝の後、成務天皇を経てヤマトタケの皇子である仲哀天皇が第14代天皇に即位しましたが、善政を為したと記紀が伝える第16代仁徳天皇のあと、皇位継承は、旧例にない展開となってくることは歴史が語る通りです。
現下の本朝を取り巻く世界情勢は、金権と放縦に翻弄されるアメリカ民主主義と、覇権の専横を増長するシナ共産主義の大きな不安要素をかかえて予断なりません。願わくば、健やかに成長されていらっしゃる
悠仁親王殿下さまへの将来的皇位継承を万全のものとし、旧宮家の皇籍復帰で柱を固めて、あめつちきわまりなき国柄の護持と天下泰平をお祈りしたいものであります。
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令和二年末の「立皇嗣宣明の儀」を慶祝しつつ、皇位の兄弟継承についてホツマ的に考えてみた論考です。
「悠仁親王殿下さまへの将来的皇位継承を万全のものとし、旧宮家の皇籍復帰で柱を固めて、あめつちきわまりなき国柄の護持と天下泰平をお祈りしたいものであります。」という思いは、その後ますます強く感じるところです。
「男女平等を」云々いってた二階俊博議員が引退されるのは歓迎だけれど、自民党にはまだまだ、女系派、国体衰弱派が多いので油断ならない。