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【ホツマの論点】 野々村家文献を学び直そう <123号 令和4年10月>

ヲシテアートからSNSやネット交流、ZOOM講座やリアルイベントまで、多彩なホツマ普及活動を展開しているワアミさんの手配で「高島感謝旅」に参加しました。水尾神社宮司を先祖に持つ野々村氏や安聡写本の再発見に貢献された井保家(先祖は和仁古安聡)の井保氏をはじめ高島研究会の諸氏と久しぶりに再会し、旧交を温めることが出来ました。

私たちがホツマツタヱを研究検証できるのも、ひとえに安聡のホツマ写本やフトマニ写本、ミカサフミ写本、その他関連文献が護持伝来されてきたからであり、まさに「感謝」の念を深める秋の旅となりました。

けれども改めて自省すると、ホツマ写本やフトマニ写本を考究するほどの熱意を、その他の関連古文献に向けていたかというと、いささか忸怩たる思いです。

本誌に「歴史の中のホツマ」を連載されている今村氏は、野々村家所蔵の「三つの本土記」について、「将来、ヲシテ学が学問の分野になった時に、伝来を究明する上で『三本土記』は最も重要な資料に数えられる」(115号)と指摘されています。『三本土記』とは、『和解三尾大明神本土記』『嘉茂大明神本土記』『大田大明神本土記』の三書をいいます。これらの書は、第五十代桓武天皇が「天道に目覚めて」「本当の古代日本の姿を知りたいと、(藤原不比等の計略で編纂された)『風土記』と対比させるために『本土記』という名称を定めて勅令を発せられた」真書であると、今村氏は結論づけられています。

さらにもうひとつの文献『神代神字辨』も、見逃せません。この古写本は、ヲシテ文字を多数引用し、神格や系譜、神代文字の伝来について独自の解説をつづった文献です。松本善之助翁編集発行の月刊『ほつま』の最終期に全文掲載されましたが、不鮮明で、後にも覆刻はされておらず、しかも『ほつま』誌の連載中に安聡写本の大発見という新局面になったために、その後の考究がなおざりにされていたのです。

しかし、『神代神字辨』は、類書が比叡山の叡山文庫にも所蔵され、しかも内容が一部異なるなど、テキスト検証に重要な意味を持つ文献であることは間違いありません。

ホツマ再発見六十年のヱト一巡りを四年後に控えて、今こそ、関連文献に再注目をすべき時ではないでしょうか。

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高島への旅をきっかけに、野々村家が代々護持継承してきた野々村文献の重要性に言及した論考です。比叡山の叡山文庫の調査も中断したままですが、既に保管されているヲシテ三文献以外の古文書に、もっと光りを当てるべきでしょう。


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