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⭐17) 「やさしさに救われて」というフレーズで思い出したできごと

梅雨明けした途端、
ジリジリの炎天下で
汗ダラッダラ💦の毎日。

早くも気温39度になろうかという酷暑の中、

「♯優しさに救われて」

という募集に参加していた記事⬇️を読み、

 🌊  喉も気持ちも、涼やかに潤うようで、
救われた気持ちになりました~。



さてそこで、わたしが優しさに救われたことって どんなことだろう?
と思い返してみました。

・・・いやー、ありすぎて書ききれない。
人の優しさに救われなかったら、
多分、今、生きらていない・・・

お世話になったみなさま、
本当にありがとうございます。

ただ、その中で、ふと、
通りすがりの人の
ほんの一瞬のやさしさが、
自分の生きる姿勢を、そっと正してくれたあの時のことを、
書いてみようかなと思いました。

♯♯**♯♯**♯

あの頃、毎朝の通勤ラッシュ。
都心に向かう東海道線は特に凄まじかった。
もみくちゃになり、ドア際に立ったときには、潰される。
長傘など持っていれば
へし折られたかのように曲がってしまい、
あるときは、どうしたことか、
手の爪が剥がれかけていた。 

暴力的なほどの混雑ぶりに、はじめは驚いたし、すごく大変だと思っていた。

しかし・・・それに慣れてくると、
そうされるのも、そうするのも当然で、それがこの車内の普通なのだと、自分は変化していった。

電車を降りるときは、平気で人をおしのけた。
まるでタックルするかのように。
そうしなければ、
降り損なって遅刻してしまう。
だからそうするのが、この車内の常識で、
許される行為なのだと、そう思っていた。

・・・そして、毎朝繰り返していることは、
当然の如く、
「習慣」となった。


とある平日の昼間。
都心から離れた、私鉄の車内はすいていた。
私は、買い物のため、ある駅で降りようとしたところ、
たまたまドア前に、数人のグループが立っていて、すぐに降りることができなかった。

その時!!!

私は、ものも言わず、いきなりグループのど真ん中に突っ込み
両肩で、風切るかのように
グイグイとその人々を押しのけ、
ドアに向かって突進してしまったのである!!

直後、
押しのけられた人々、そして周囲の人々が、
私に向けた驚愕のまなざしに気づいて、
ハッ とした。

しまった!!ここは満員電車じゃなかった!!

自責の念にかられ、
謝ることさえできず、慌てて下を向いたまま電車を降りていくその一瞬。

視界の端に、
飛び込んできたものがあった。

・・・  笑顔だった。

ドアの側に立っていた、30~40代くらいの男性が、
あきらかに私を見て、ニコニコと笑っていたのだ。

「あ~、やっちゃったね~」
という感じだろうか。

とにかく、なんというか、
あったかい、包み込まれるような、笑顔だったのだ。

男性の顔をよく確認する暇もなく、
すぐに、
かけ降りるようにホームへ出た私の後ろで、
ドアは閉まり、
その男性を乗せたまま、
電車は、走り去った。


ホームにひとり残った私は、
遠ざかっていく車窓を、
男性の面影を探すように
見送りながら
ふと、
心底、ホッとしている自分に気がついた。

こんなに、ホッとした気持ちになったのは、
凄く 久しぶりな気がした。

・・当時、仕事はハチャメチャに忙しく、職場は殺気立っており、
私にとって満員電車は、
混雑にかこつけ
ストレス解消の場と化していて、人をおしのけることで鬱憤を晴らしていたのだ。

そんな鬼のようになっていた私が、

あの男性の笑顔に


「何もかもわかっているよ。」


と、赦されたような気持ちになったのだ。


・・・なんという、余裕だろう。

誰もが眉をしかめるような私の行動を、微笑ましげに笑ってくれるとは。
その優しさは、
どんな叱責よりも、
瞬時に私の心をとらえ、
私が間違っていたことにきづかせてくれた。


こうして私は、
見知らぬ人の余裕と優しさによって、

失いかけていた己れを、
あやういところで、取り戻したのだった。


**♯♯**♯*

その後わたしは
相変わらず、満員電車で通勤していたが、
東海道線よりちょっとだけ混雑ぶりがマシな
京浜東北線に切り替え、

どんなに混んでいても、思いやりを忘れないよう、心がけるようになっていた。
           ☀️
    🌱       🌻 🌻  


あの頃、私が、
当然の如く押しのけてしまった方々、
本当にごめんなさい。

そして、
私に微笑みを向けて下さった方、
本当にありがとうございました。


私も、あなたのように
   
 余裕と優しさのある人でありたいです。

             
                   🌹      🙏