推しは自分の心を救ってくれるけど、自分の将来は救ってくれない

 数か月前に書いたものを供養します。



 いままで気づかなかった、もしくは薄々気づいていたのかもしれないけれども知らぬ振りをしていただけかもしれない。

 気づかないままアラサーになってしまったオタクなのですが、ふと自分をふりかえってしまうような出来事が最近 起こりました。ざっくり説明しますと推しの結婚・出産系のことです。その出来事によって多幸感と不安感と絶望感に苛まれ、1週間ほど御飯が食べられなくなりました。こんなに感情が乱されたことは初めてでした。

 昔ならそうなんだ!おめでたい!と受け止めるところでしたが今の私は年齢的に直面する現実にリンクする部分があり、初めてご飯が食べられなくなるほどに考え、考え、考え込みました。そのことを知った時は本気で推しが幸せになることを祈り、めでたい出来事があれば心の底から幸せで良かったねぇ、良かったねぇと幸せな気持ちで胸が一杯になり食べ物も喉が通らないほどでした。


推しは自分の心を救ってくれている。
推しの幸せは自分の幸せ。
でもこのまま過ごしていたら将来どうなるの?
推しは結婚して子どもが生まれ幸せになってくれるであろう事実はとても嬉しいのに、その時自分はどうなっている?このまま1人で過ごすのか…?


 1人で暮らして、自分を養うために働いて、時々遊んで。でも身体は丈夫ではないために時々体を壊している事実はある。きっと、このままずっとは働き続けられない。今のまま働き続けていると心と身体のバランスがおかしくなる。近い将来働けなくなってお金が無くなってしまったら1人でどうしたらいいんだろう。
 もし、もしかして推しのようにもし私に支え合えるような人がいたら少しは違うのだろうか。


 私は小学生時代からアニメや漫画が大好きな典型的、筋金入りのオタクでした。約三年でジャンルが変わり、その度推し(2次元3次元、女性男性問わず)が増えていくタイプのオタクでした。好きなものがどんどん増えて毎日楽しい!学校や仕事は辛いけど推しがいる!お金はどんどん推しに使っちゃう!気づけば同級生や周りの人がどんどん結婚していき、子どもも生まれて社会人として立派に過ごしていました。
 自分と周りの違いにモヤモヤとしながらも、まぁ自分には推しが居るから、好きな時になんでも出来る自由があるから、出会いもないし結婚もしたくないし子どもを産む気は無いから。今となってはアレコレ言い訳をして過ごしていました。
 現時点でもちろん結婚や子ども特に予定もなく、毎日必死に仕事をしつつ推しに課金をしながら過ごしています。


 少し話は寄り道します。
 私の心の問題の話になりますが、本気で他人とお付き合いをしたり結婚を想像して楽しむ感情を持ち合わせたことがありません。また自分が現時点で妊娠することが出来る身体であり妊娠する可能性を持ち合わせている事実を受け止めたり、子どもを将来的に産むことを想像するとどうしようもなく気持ち悪くなってしまいます。

 このことが人と付き合えない・付き合おうともしない・付き合う努力をしないetc、自分の知らぬうちに周りの人がこなしていることから逃げているのかも知れないなと文章を書きながら思いました。こればかりは心の問題なので月日が解決してくれるのかこのまま変わらずなのかは分かりません。


 オタクとして過ごしていた毎日と心の問題も併せて変に拗らせてしまったことで今の私が形成されていったことを自覚しています。


 1人で暮らして、自分を養うために働いて、時々遊んで、でも身体は丈夫ではないために時々体を壊しているからずっとは働き続けられない。働けなくなってお金が無ければ生きていけない。そういう時に1人だけでどうして行ったらいいのだろう。推しのようにもし私に支え合えるような人がいたら少しは違うのだろうか。そんなことを考えていたものの今の私では答えは出ません。
 数か月が経ち、考えていたときの熱量や感情のピークが下がって来たことによって落ち着きを取り戻しました。
 答えも解決策も見いだせないまま、私はまた見ぬ振り知らないふり気付かないふりをして推したちを推し続けるのでした。


 アウトプットが苦手なオタクなため、言葉を考え文字を打つこと疲れてしまいました。きっと答えの出ない、推しとオタクと将来について考えてしまった平日の夜でした。

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