湯治宿 農民の家その3
画像は混浴当時の大浴場(男女の仕切りができた改装後は「檜の湯」)です。
ミツカン水の文化センター 様 のサイトから拝借しました。
農民の家その3(終)です。
各浴室についてコメントします。
湯治宿 農民の家その2はこちら
●別棟として独立している混浴の白濁した檜の湯
混浴時代の檜の湯が2005年9月時点(この時点では「大浴場」)での農民の家の主浴場といえるでしょう。
広さもあって体も洗えますし、白濁していた湯と檜で作られた建物が素晴らしかったっす。
別浴になってから、ものすごく狭くなったなぁとの思いが強かったことが思い出されます。
農民の家の温泉について、わたしとしては混浴当時のこの浴室が一番でした。
●北側にあるこれまた混浴の硫黄泉
農民の家の歴史的にはここが主浴室といえるでしょう。
入口は別々ですが浴場は20人前後入れる1浴槽ですので、半分から向こう側へはさすがにいけませんでした。
お湯自体は硫黄泉でいいのですが、中年に差し掛かった年代ではゆっくりとはつかれず、1回の入浴では1回しか浴槽につからなかったと記憶しています。
●檜の湯のそばにあるまたまた混浴だが極めて小さい湯舟の30℃あったかないかの炭酸泉(この浴場には体を温めるために檜の湯と同じ温泉の浴槽あり)
ここは珍しい炭酸泉であり、湯温も低いので時間的には長く入りたかったところですが、脱衣所自体から男女共用でしたし、収容人数に比しては極めて小さい浴槽なので、時間を気にせずつかり続けるというわけにはいかなかったことを覚えています。
●これに離れた西側の建物にある男女別浴のやすらぎの湯があり
温泉が1階に、なぜか温泉でない白湯の浴場が2階にありました。
やすらぎの湯は男女別浴で体もゆっくりと洗えて時間を気にせず入れたのですが、ほかの浴室と比べて風情がイマイチだったこともあり、それほどの思い入れはありません。
2階の沸かし湯は当時なんであるのか理解できなかったのですが、ほかの浴室が相当パンチが強かったので、そこまでの湯に入りたくないときに休憩的な意味でつかる場所なのかなぁと今になって思います。
各浴室はほぼこのサイトにでているので、ご覧いただければと思います。
昨年、2021年10月にはこの施設を利用して別会社のもと再開するという情報が出てきましたが、2021年11月中旬現在、再開の情報はでてきていません。予想以上に新型コロナの影響が強かったのでしょう。再開の日を待ち望んでいます。
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