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ゲームの攻略サイトへの向き合い方ってどうなの?

ゲームを攻略する際に、攻略サイトをすぐ見てしまうような人はそれをゲームをやったと言えるのだろうか?。日頃疑問に思う。これから何が起こるかが書いてあって、それに対してどうすればいいのかも詳細に書かれている。

文章を読んで忠実に実行したんだとしたら、それはただの作業だ。単純にバイトや仕事をやっているのと何が違うのだろうか。それにゲームじゃお金が貰える訳じゃない。それでゲームをクリアしたとしても、何か達成感があるのだろうか?何かの作業をやり終えたという「ちょっとすっきりした感じ」があるぐらいのしょぼい感想しか得られないのではないだろうか。

無論ゲームにだって難しいものや簡単なものがあるのだから、一切前に進めなくなってしまった時に攻略サイトを見てある程度の光明を見るのは当然ありだろう。ゲームは楽しいものという前提に立って考えれば。間違っていない行為だろう。

だから攻略サイトというのはあくまでも迷った時には道しるべであって、ナビゲーターではないのだと思う。それかある程度の域にまで達して。十分このゲームを味わい尽くしたと思った後に、骨の髄まで、裏の先まで、重箱の隅まで突きたいと思った人間が攻略サイトを見て細かいデータや裏技や豆知識だったり裏設定だったり、そういうものを見ていたりする分には楽しいのではないかと思う。

攻略サイト攻略本というのは昔からもてはやされてきたけれども、その関わり方についてはそれぞれ違う対応を取っている。人それぞれなのである。

その内情をあまり計り知ることはできないけれども、みんなが実際どのように攻略サイトを使っているのか?どういう使い方をしている人がどういう割合でいるのか、とても気になるところである。

ゲームというのはどういうものなのだろうか、ということを改めて考えさせられる。あれはあれで苦難を買っていると言ってもいいのだろうか?難関があってそれをクリアする事がゲームの醍醐味なのだから、苦難を買っていると言っても差し支えないないだろう。しかし、ゲームのいいところは設定された苦難がまずクリアできるように仕掛けられているところである。

現実の場合は絶対にクリア不可能な場所だってあるし、何の苦労もせずすんなり終わってしまうような場合もあるから、ちょうどいいバランス感覚で遊ぶことができないのが難点である。

その一方ゲームというのはバランス調整が最適化されているから面白いので、そう考えれば攻略サイトというのは、ゲームの難易度を意図的に調整するものであるのかもしれない。制作者が意図していないレベルで簡単にしたいと思うのであれば、攻略サイトをフルに活用すればいいのだろう。

そう考えるのならば、攻略サイトが人気になっているゲームタイトルは難易度調整に失敗したとも言えるのではないだろうか?ゲームだけで夢中になれるのならば、攻略サイトの需要は減るはずだ。

逆に考えれば、クソゲーと呼ばれるゲームの方が攻略サイトのアクセスは高いのだろうか?

攻略サイトには色々考えることが多いのかもしれない。

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