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年を重ねてから新しい何かを始める為にはバカにならないとダメだ

初めての挑戦は失敗する可能性が高い。余程簡単な挑戦であるのならばその限りではないが、人が新しい学問や技術に挑戦しようと思えば分からない事ばかりなので上手くいく訳がない。何が間違ったのかも分からず、何が正しいのかを模索する過程でまた間違える。艱難辛苦の末に上手くいったとしても、それは赤点ではないという意味での成功であり、改善の余地がいくらでもあるという自分の実力の足りなさを露呈させる程度の成功だったりする。大人になると、自分が業界においてどのくらいのレベルなのかが漠然と分かってしまったりするからタチが悪いのかもしれない。子供だったらできた事に大喜びし、初級者レベルの問題をクリアした程度でも自分が天才なのではないかという自尊心に浸れる可能性だってある。世間というものを知らないからこそ持てる自信というものがあり、現実を知ってしまったが故に自信を失ってしまう事もある。だからこそ、大人になってから何かを身につけるのは難しくて子供の内からやらせるべきという言説が流行るのかもしれない。脳の新鮮さだけではなく余計な情報があるからこそ、それがノイズとなって成長を妨げているのかもしれない。文明が発展したり、歳を重ねたりすると、そういうノイズが入りやすい。例えば近年のAIの発展により自分の学習が今後無意味になる可能性が高いという予測が人々の中でされるだろう。そうなれば当然ながら学習意欲は減るし、「どうせAIには敵わないのだから」という発想で自信もなくなる。それならAIの勉強をすればいいじゃないかというのは正しい指摘なのだが、最近のAIの発展速度を鑑みるに、AIを使いこなすに必要な学習量を満たせるのか、はたまた学習しても物凄い進化スピードによって学習内容が無意味になってしまうのではないか、という推測ができてしまう。また別の観点として年齢を重ねれば重ねる程、死というものが見えてしまっていて、それによって自分の学習が無意味になる事を知っているので、これもまた学習の意欲を失わせてしまう。それに老化によって知識の吸収速度も子供に比べれば遅いから、それも自信を失わせる要因になる。周りが見えすぎてしまって、先を見すぎてしまっているからこそ、自信と意欲がなくなるのだ。だから、新しい何かを始めようとするならば、バカになる必要がある。子供のような純粋さで物事に取り組む必要がある。周りと比較せず、先の事を考えず、現在とちょっと先の未来を思い浮かべるだけでいい。むしろそれこそが良いのだ。今まで獲得した経験を活かして、なんて考えないで、もう一度生まれた気分で始めなければきっと上手くいかない。昔の記憶すらも、昔より年を重ねた現在にといては障害になり得るからだ。失敗が100あっても1の成功に喜び、他人が100進んでいる間に自分が1しか進めなくても喜び、社会がそれを必要としなくても自分はそれを誇りに思う。そういうスタイルでなければ年を重ねてからの学習は難しいだろう。

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