見出し画像

調子の悪い時に頑張れるかどうかが大事なんだろうなぁ

調子の悪い時に頑張れるかどうかが大事なんだろうなぁと思う。人間ってのは気分の良い時や元気な時だったら頑張れる。むしろ何もするなと言われても頑張る。だが、調子が悪かったり機嫌が悪いと意欲がなくなって練習を疎かにしてしまう。そうやって、やらない時があるとズルズルと練習をサボる事にもなってしまいかねない。それに調子が良いと如実に感じられる日なんて一年の中でそんなにないのではないだろうか?さらには歳を重ねれば重ねる程に調子が良い日は減るのではないだろうか?むしろ調子が悪い日が増えていくのではないだろうか?そうなった時に調子が良くないからと頑張るのを辞めてしまっては何も形にならないで終わっていく。だからこそ、調子の悪い時こそが勝負所なのである。そこを頑張って慣れるからこそ、継続の力によって熟練していくのである。というのが大前提なのが人生の面倒な所だよね。それに調子の悪い時に頑張るのが大事だからと言っても、調子の悪い時に頑張り過ぎたならば怪我や鬱のリスクだってある。限界を超えずに限界ギリギリを攻め続ける強さが必要になるのだ。筋トレだって最初から100キロのバーベルを上げようとすれば上がらないしケガするだろう。だから、少しずつ慣らして続けて増量していくのが上達だ。そういう意味ではトレーニングによる成長ってのは苦しみに耐え続ける事が肝なのである。やりたい時に楽しい気分の間だけやれば、それはもう爽快だろうがそこで終わりだ。一流になりたければ続けるしかない。皆が楽しく遊んでいる時も、無駄に終わる可能性を秘めながらも、天才に勝てない事を自覚しつつも、それでもやり続ける忍耐力は、もはや執念と呼べるだろう。勝つためには幸せは捨てなければならぬ。幸せを捨てたからといっても勝てるとは限らぬ。人生が悲哀に満ちているという人の発言を蔑ろにはできないし、自殺したい人の気持ちも分からないでもない。軽々しく他人の自殺を止める気分にもなれない。長く生きる程、頑張る程に人は何かを背負う。その背負った荷物の重さも知らずに他人の人生に知った風な事を言うのは、やっぱり間違っているのだろうなぁと思う。人生を振り返った時に良い思い出になれば素晴らしいけれど、道長ばで倒れて振り返れないのはちょぴり寂しい気がする。まぁそういう人生が好みの人もいるから、それは人それぞれなのだが。まぁ何であれ続けなければ花は咲かないって事である。なんでか知らんが使わない機能は退化していくのだ。エネルギー効率の為の仕組みだろうが、そのせいで自分の人生まで省エネになってしまってはかなわん。飽食の時代とも言われる今ならば十分にエネルギーを巡らし発散できる事だろうから、悔いのないように生きたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?