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みんなが自分の悪い部分とどう向き合っているのか気になる

言語能力が発達した生き物の成れの果てが、ネット掲示板での言い争いならば、頭の良さとは何なのだろうか?

インターネットの世界で頻繁に何かが炎上する。その度にコメント欄では勝手な妄想に基づく誹謗中傷や、それに対する言い争い等が行われる。

所謂、レスバという物も盛んに行われおり、その人達の言動は醜悪だとは思うけれども、全ての人の頭が悪いとは思わない。相手を傷つける為の語彙や言い回しは、しっかり勉強しているようなのだ。

そんな人達は幸せなのだろうか?とふと考えてしまう。

無論、頭は良いのだろう。だが、その頭の良さを他人を傷つける為や言い争いの為に使用するような人は幸せなのだろうか?

まぁ、生きる意味を「幸せかどうか」だけで判断するのも間違っているのだろう。単純に今を生きている人は「繁殖するに足る遺伝子」を引き継いだ人というだけであり、幸福と繁殖は必ずしも関連性があるとは言い難い。

言語能力と攻撃性が引き継がれた人間が現代に相当数存在する、というだけの話なのだ。

頭の良さは人を快適にするのではなく、人を存続させる為のものなのだろう。その副作用として、反応しなくても良い出来事に過剰に攻撃的に反応してしまったりするのだろう。

しかしながら、そういう攻撃的で自分の精神が幸福でない人間というのは、自分の子供を残したいと願うものなのだろうか?

人間は有性生殖なので、自分と全く同じ性質が子供に引き継がれる訳ではないにせよ、やはりそれなりには似る。自分の「些末な出来事に過剰な罵詈雑言を放ってしまう性質」を引き継いでしまうかも、という恐れで子供を生むのを諦めてしまったりするのだろうか?それとも、常日頃から自分の周囲の悪い出来事に過敏に反応することで、自分の悪い部分から目を逸らすことに成功しているのだろうか?

それぞれの人間がそれぞれの悪い部分と向き合っているのか、向き合っていないのか、向き合っているのならどう乗り越えたのか。その辺の人間の精神の動きというのは多種多様な気がしているので、とても気になる所である。

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