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随筆: 純喫茶の常連

行きつけの純喫茶がある。
コーヒーとメシが安くてうまくて、タバコが吸えて、たくさん漫画が置いてある、楽な服装で通えるお店。
オタク文化に造詣が深いママが切り盛りしている。旦那様は司馬遼太郎が好きな小説家。

私が常連になってからは、だいたい近況報告や目標について、ママにひとしきり話をさせて頂いて帰るのが通例。
店には色んな人がやって来るが、他の常連は高齢者が多い。恐らく自分が一番若い。名前にちゃん付け、時々お嬢さんなどと呼ばれて可愛がられている。

全身スウェットの私を見るなり「外資系に勤めてるでしょう、身なりはラフにして隠してるけど、貴女のそれはIT系の社長あたりがやってるやつと一緒だ」と言い放った勘の鋭いおじさま、
熱帯魚が生き甲斐の夢かわいい物が好きな女性、
外では大変なべらんめえ口調だが、家では亭主関白の主人を支えているらしい老婆、
どう見ても80代に見えず、血気盛んな老夫。
皆個性がある。

取り留めもない日常会話をしていて楽しいが、話をしすぎてもお腹いっぱいで疲れてくる。そんな私を見て、ママからは「誰とでも仲良くなれそうよね…うわべでは」と評された。
そう、うわべで話をしていることがバレていて、それが大変心地よかった。日常会話に対する飽きと疲れを察知してくれていることが嬉しかった。うわべ上等。

私も同じように自分語りをしすぎて飽きられることが何度もある。無理して楽しませないといけないのかと悩んだこともあったが、今となっては「あなたの話はそろそろつまらないですよ」と会話を切り上げてくれることに有り難みを感じる。別の話をしたほうがいいと知らせてくれているわけだから。人格の好き嫌いとは関係がない。

同じ地域に住み、同じ言語を喋るけれど、全く違う趣味や考え方で、長い時間を過ごすことはないであろう人々との、小さな出来事の積み重ねは実に面白い。話が噛み合わないこともまた一興。
違いがあるから人間は面白い。