46や48について、ずっと思ってきた
思えば最初から、あの子達を正視できなかった。
私は特に気骨や教養のあるフェミニストではないけど、たぶん女として辛かったのだ。このような話を初めて言語化したのは2017年、大学院の日本人仲間たちとご飯食べてるときだったと思う。そのときもあまり理解してもらえなかった記憶があるけれど、今も同じだろうか?
46とか48とか、ファミレスのメニューかカタログみたい。キャバクラの指名に使うアルバムや、もっと古くは吉原の女郎屋の、木の格子の向こうの顔見世みたい。比べられ品定めされるための