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#8 いま、しんどい君へ伝えたい たった1つのこと

生きる意味がわからない。
だったら、ただ生きているだけでも、いいんじゃない。

生きていくことは、だれにとってもそれなりに大変なことだ。
だから、今こうして生かされているんなら、
きっと、そこになんらかの意味があるのだろう。

そう、答えは言えないけど、
答えは、ある。

ゲーテさんもこう言っている。

「われわれには理解できないことが少なくない。

生き続けていけ。きっとわかってくるだろう」


なんのために生まれて

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「ねえ、ママ、蚊の生きる意味って何?」

わがやの小学生から
こんなヘビーな質問が飛んできたのには、
少々理由がある。

発端は、YouTuberの「メロガッパ」さんによる1曲の歌。

赤毛とメガネの2人ぐみのお兄さんが、
その美声と秀でた音感をムダ使いしつつ(?)、
いろんな角度から歌を楽しむチャンネルだ。

全くちがう曲を合体させたり、
なぜか健康マシンで震えながら歌ったりと、
さまざまな前衛的な取組をしながら、
笑いと、歌がもつおもしろさを届けてくれる。

その中で一番インパクトがあったのが、
「『アンパンマンのマーチ』を短調にしたら絶望感がすごい」。

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!


作詞家・三木たかしさんの軽快なメロディーと、
双子の女性デュオ・ドリーミングさんの明朗な歌声ゆえに、
これまでは全く気がつかなかった。

だが、短調にして聞いてみると、
その歌詞のもつ重みが
ダイレクトに胸に飛んでくるではないか。

改めて聴くと、こんなにもコワい歌詞だったのかと
思い知らされたのだ。

そうだ うれしいんだ
いきるよろこび
たとえ むねのきずが
いたんでも

あのう、全然うれしそうには聞こえないんですが。

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そして、この曲に影響された娘が、
歯医者の待合室にいる熱帯魚を見ては、
「この魚たちって、
一日中水槽のなかでぐるぐる回っているだけでしょ」
とか、
「蚊って、結局うまれてきた意味、ないじゃん」
と深いことを言い出すようになってしまったのである。

あの人の生きる意味って?

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言い忘れたが、我々一家はキリスト教徒である。
「この世の全てのものは神様の手によってできているんだから、
神様はなにひとつとして余計なものを創られない。
すべての生きとし生けるものは必要なものなんだよ」

というのが、聖書に基づいた模範的な答えだろう。

じゃあ、なぜ神様は蚊なんてやっかいなものをおつくりになられたのか?

その発想でいくと、

「勝ち組女が許せない」と言って
無抵抗の女性をめった刺しにするような人。

3歳の子とその母をひき殺しておきながら、
決して自分の非を認めない人。

逆恨みで、
若くて才能あふれる人たちを
36人も焼き殺してしまう人。

そして、何の罪もない19人を、
「障害者だから」と殺してしまうような人。

そんな人たちが、
なぜいまこうしてこの世に生きているのか。

しかも、その人たちがこんにちあるのは、
その人たちを産んだ人、
3時間おきにおっぱいをあげて、
おむつをかえて、
病気のときは看病した人など、
いろんな思いをして、
その命を必死に生かそうとしてきた人がいるからなのだ。

それは、一体なぜなのか。

いらない命ならば

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ハンディキャップを持った子を育てている
私の友人は
あるときこう言った。

「よくニュースなんかで、
自分が死にたいから、
だれでもいいから殺そうとしたっていう人、
いるじゃない。

そういうとき、
特別支援学校のママさんたちとよく言うんだよ。
『いらないんだったら、ちょうだい』って。

いらないんだったら、そのよく歩ける足、
走っても息が切れない心臓、
よく聞こえる耳、見える目を、
あなたがいらないっていうその命を、
うちの子にちょうだいよって。」

そもそも、いまこうして他人の生きる意味というか、
生きていてよい条件のようなものを
えらそうに判別しようとしている自分自身も、
生きていていいと言い切れるだけの
価値がある存在なのか?

とりあえず、一児の母である以上、
わが子が成人するまで、
いや、孫の世話のひとつもできるぐらいの年齢ぐらいまでは
生きていなくてはいけない。

でも、こどもが生涯独身だったり、
あるいは義母がスーパー有能で金持ちだったりしたら、
私の出る幕なんて、多分ない。

そもそも、
私は他人の命をどうこういえるほど、
たいした人間ではない。

神様からみれば、人を刺し殺す人間も、
「あんな人、いなければいいのに」
と心の中でつぶやく人間も、大した差はない。
実際に手を出すか出さないかだけのちがいだ。


なので、目クソが鼻クソに消えろだの、
お前は価値がないだのいう資格は元からないわけだ。

それでも、今日も生きている

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そんな私がただひとつ言えることは、
今日も、私はこうして生きているということである。

生きるための明確な意味を理解しているわけでも、
生きるに値する何かをしているという自負も、
さらには、生きる意味を万人にわかる形で
明確に言語化できるだけの語彙力もない。

そんな自分だけど、
それでも、私は生きている。

生かされているから。

だから、今日という一日を生きて行こう。

だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。

聖書 マタイによる福音書 6章34節より

#しんどい君へ

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