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#82 かくことは生きること~星野富弘さんに寄せて

「ママ、なぜこの人は口にペンをくわえてまで、絵を描こうと思ったのかな?」
「それは、富弘さんにとって『描くこと』は『生きること』だったからじゃないかな」

2024年4月28日に亡くなられた星野富弘さんは、日本の詩人であり、画家として知られていました。彼は中学教師時代、指導中に負った怪我によって、首から下の体の自由を完全に失ってしまいます。しかし、わずかに動く首の力を使って口に筆をくわえて絵や詩を描き始め、やがてその絵が多くの人の心を捉えるようになるのです。

私が星野富弘さんの自伝「かぎりなくやさしい花々」を読んだのは、この国がまだ好景気に沸いていた1980年代後半のことでした。当時まだ小学生だった私は、教会の本棚に置いてあったこの本を偶然見つけ、美しい花の絵の表紙に惹かれて一気に読んだ記憶があります。

現在のように、障がいを持った人が社会参加できるような技術や制度がほぼ存在しなかった当時において、脊椎損傷による下半身のマヒは、将来への希望をほぼ断ち切られるに等しい出来事だったでしょう。

仕事をすることも、結婚して家庭を持つこともできない。一人ではトイレに行くこともできず、頭のかゆいところを自分でかくことすらできない。20代前半の若者にとって、生きることに絶望してもおかしくないほどの壮絶な苦しみだったと思います。

そんな星野さんが絵を描き始めたのは、ちょっとした偶然の出来事からだったそうです。知人への結婚祝いの寄せ書きを書くために、とりあえず口にペンを咥えてみたものの、書くことができたのはたった一つの点だけ。その様子を見かねた人が、紙を上手に動かして「お富」というサインを作り上げた。これが始まりだったのだとか。

しかし、その点はやがて文字になり、手紙になっていきました。さらに、手紙の脇に添えて書いた花の絵が、徐々に周りから注目されるようになっていったのです。口に筆をくわえて描かれた彼の絵や詩は、全国各地で展示されるようになり、その著作は教科書にも掲載されました。さらに、国内に2館の「星野富弘美術館」が建てられるまでになったのです。

もしも自分が、星野さんのようにある日突然体の自由を奪われてしまったら。自分では何もすることができず、日常生活のすべてにおいて他人からの介護を必要とする日々になってしまったら。そして、そんな生活がこれから先、何十年も続くのだとしたら。

そんな日々において、「描く」ことは、自分の思いを表現する手段であり、人とのつながりを維持する方法であり、何よりも自分が生きている意味を実感できる瞬間だったのではないでしょうか。さらに、自分に付き切りで介護をしてくれている家族への恩返しの手段でもあったことでしょう。

「自分の絵を見て誰に何と言われようと気にしない。ただ、母が自分の絵をみて『ほおー』と感心してくれれば、ただそれだけでよい」
その著書のなかに、確かこんな記述があったような気がします。

実は私は、つい最近まで、
「自分はもう、書くことをやめるかもしれないな」
と漠然と感じていました。ライター業の空き時間に始めた副業が意外と(?)うまくいき、こちらに切り替えたほうが確実に収入が得られるかもしれない状況になってきたからです。

「だったら、もうしんどい思いをしてしてまで、文章を書き続ける理由なんてないのでは?」

そもそも自分や家族の生活の足しにと思って始めたライター業でした。でも、仮に収入面の問題がクリアされたとしたら、一体自分は何のために文章を書き続けるのだろうか。その明確な答えが見出せないまま、自分の生活の中から書くことがこのまま静かに消えていくかもしれないなと感じていたのです。

そんな自分の口から、
「『描くことは』は『生きること』だから」
なんて言葉が出てくるとは思ってもみませんでした。でも、星野富弘さんが生涯を通して描くことを止めなかった理由について問われたとき、自分にはそれ以外の答えが出てこなかったのです。

じゃあ、どうして自分の中からそんな言葉が出てきたのか。
それは、この私にとっても「書くこと」は「生きること」だったからではないでしょうか。

もちろん、私は星野さんのような人生における壮絶な苦しみも体験していないし、多くの人の心を動かすような傑作も生みだしていません。

でも、これまで書くことによって崩れそうな自分を支えたり、思いを伝えたり、他人とつながったりしてきました。幼いときから引っ込み思案で、他人としゃべることが苦手だったけれど、それでも、人とつながりたいという思いを捨てきれませんでした。

そんな自分と世界をつないでくれたのが、文章を書くことだったのです。誰もいない教会の部屋の片隅で、一人もくもくと本を読んでいられればそれでよかった小学生が、やがて自分で文章を書いて、世に出ていくことを決意するまでに。

ライター業、つまり、お金をもらう手段としての「書くこと」はいつか止めるかもしれません。でも、自分のうちから書くことを完全に消し去ることは、おそらくできないでしょう。そもそも生き方というものを、「冷やし中華はじめました」みたいなノリで始めたり、やめたりすることはできないでしょうから。

星野富弘さんが遺された数々の詩の中でも、ひときわ心に残っている一つの作品があります。

神様がたった一度だけ
この腕を動かしてくださるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の
実を見ていたら
そんな日が本当に
来るような気がした

星野富弘「ぺんぺん草」

今ごろ星野富弘さんは、天国でお母様と再会されたことでしょう。
そして、完全に自由になったお体で、その肩を優しくたたいておられるかもしれません。





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