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#19 この冬最初の雪に想う

花の模様が刻まれた深みのあるブルーのスカートに、黒い胸当て。肩には、同じく深みのある赤いケープ。

これまで、街でこんな姿をした女の子たちを何人見てきただろう。先日もショッピングモールで、そんな装いをして満面の笑みをうかべる「ミニアナちゃん」を見かけた。

室内とはいえ、この時期にしてはちょっと涼し過ぎるかなというその服装。だけど、にっこにこの彼女を見ていると、
「絶対、この服を着たままお出かけするの」
とママたちに言い張ったんだろうなというところまで想像できて、なんだかほほえましかった。

そんな世界中の子供たち、そして大人たちまでもとりこにしてきた黄金の歌声。多くの人たちの心をキラッキラに照らしてくれたあの歌声を、わたしたちは永遠に失ってしまった。それも、あまりにも突然に。

わたしたちは舌で、父である神を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から、賛美と呪いが出てくるのです。

聖書 ヤコブの手紙3章9節、10節

人の心を照らして、元気づけてくれる歌声と、人の心を深く傷つけ、ひき倒してしまう呪いの言葉。それらはどちらも同じ人間の口から出てくる。

この事実に向き合うとき、「ことば」を生業とするライターの端くれとして、自分は一体何のために日々言葉を紡いでいるのかを改めて考えさせられた。

Webライターが書く目的といえば、まずはSEOを遵守してgoogleさんに選んでもらえる文章を書き、PV数やコンバージョン率を高めて、商品やサービスを利用する人を増やして、顧客満足を追求する。

それは当然なのだが、じゃあ、その先には何があるのか。それは、自分が記事を書くことで、読んでくれただれがをほんの少しでも幸せにすることだ。

「だれかの幸せのため」って、あまりにも抽象的で、漠然として、しょせんはきれいごとでしかないのかもしれない。そんなことより、文字単価を上げたり、自分の名をちょっとでも上げる方法を考えるほうが、より現実的なのかもしれない。

だけど、自分が記事を書くことで、だれかの悩みが解決したり、だれかの決心を後押ししたりできれば、こんなにうれしいことはない。

そして、その思いを失ってしまったWebライターは、単なるライティングマシンであり、決められたキーワードを一定規則のもとで打ち込み続けるAIのようなものになってしまうのではないだろうか。

わたしたちには、そのときに起きたことを、そして他人の心の内を知ることなんてできやしない。

ただ、その瞬間、地上に何十センチも積もっていた雪が、彼女の体と魂をやさしく抱きとめてくれたであろうことを願うだけだ。雪の女王の妹である彼女にふさわしく。




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