自分の夢が「夢的な何か」と気づかされたトルコの日々
宿と農という職業は、夢でもなんでもなく、単なる最適解でしかないけれど
「夢的な何か」
What is your dream ?すなわち、お前の夢は何だ?とルームメイトのトルコ人に尋ねられた。それは私が20歳の時だった。怒っていたわけではないが、普段温厚な彼にしては珍しく言葉に熱がこもる。
職業は夢ではない。今思えばそりゃそうかなんて思う。けれども、その青さに白みを感じられるくらいに若かった私には、衝撃的でかつ新しい考え方であった。そのときはじめて、私が夢だと信じて疑わなかった職業という存在は、「夢的な何か」でしかないと思わされたものだった。
職業にはたどり着けなかった
当時の私には、大学で研究者になるもしくは新聞記者になるという「夢的な何か」があった。
結論から言えば、それは叶わなかった。研究者になるという未来は大学院在学中に「なんか違うな」と思いはじめ、新聞記者も最終面接で落ちているうちに「なんか違うな」と思い、ついには途中で採用選考から降りた。
その際、こんなにもあっさり職業という名の「夢的な何か」は、私のそばから離れていくのかと思ったものだった。
そして今はというと、なぜか香川の離島で宿業と農業をしている。
宿業と農業を営む私なりの理由
まさかこんなことになるとは、と今でも思っている。ただこれは私がようやく職業の呪縛から解放されたことを意味しているような気がしているのだ。
この二つの事業を始めた理由は、心底トライしたかったというよりも、自分の希望に対して「ツールとして有用で現実的だったから」という方がきっと適切である。
これが私が宿と農業を始めた理由の一部だ。今思えば、ようやく生まれた一種の夢と言ってもいいのかもしれない。
誰かの心の支えとなる。そりゃ、私が医者なら科学的なアドバイスや薬の処方ができるだろうし、もっとも私にもっと優しさがあれば悩む人を何か月にもわたってサポートしてあげられるのだと思う。はたまたデジタル分野に強ければ、誰も見たことない抜本的な解決策を切り拓けたのだろうか。
ただどれも私にはできそうなことではなかったので、今の方法がとりあえず私ができるかもしれないこと、つまり最適解ということにした。
だから私にとって、今の職業は夢でもなんでもなく、単なる最適解でしかない。
夢の中に生きる
ただそのような最適解をツールとし、目標を追うようになってから、ずいぶんと気が楽になったように思う。なぜなら、どのような試みも、目標を達成する手段として、挑戦したり、ある程度受け入れられるようになってきたからだ。
「朝にこんなもんが出てきたら、お客さんの気が休まるかな」と夜な夜パンを試作してみたり、
「この本は本棚の前列においてみよう」とお客さんに読んでほしい本を選んでみたり、
「せっかくなら花壇も少し整理しようかな」と先日は生まれて初めてビオラの苗を買ってみた。
たしかに職業によって社会的評価の度合いやもっとも収入が変わることは少なくない。私もそれを気にしていなかったと言えば嘘になる。そのため、過去に「こんな職業や取り組みは自分にそぐわない」なんてある種差別的な感情を抱いていたといっても過言ないと思う。
ただ今思えば、これは夢を「夢的な何か」として捉えていることの裏返しなのだろう。
というのも、もし本当に夢を達成するために本気なら、手段は何だってかまわないからだ。まさしくトルコ人の言う通り、このとき職業はツールなのだ。
もし今、what is your dream ?と彼に聞かれたら、
と言ってやりたい。
なぜなら、私はいま夢の中にいるからだ。
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トルコ人が語りかけてきた内容そのままです。耳にこびりついて離れないので、そのまま原文でもお届けします。(原文ママなので文法や時勢の不一致は悪しからず)
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