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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり…
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2021年4月の記事一覧

回り道ができない日には道草を食べよう

道草を食う。 この表現は人間の連れた馬が道中で雑草を食べ始めて、到着が遅れる場面がその由来のようだ。 いま、この状況を見つめ直すと、馬からすりゃ「食わないと歩けねぇよ」というところなのだろうか。人間に重い荷物を載せられた挙げ句、人間それ自体も自分の背中にまたがるわけであるから、馬からすればたまったものではない。 それでも、人間はそんな馬に向かって「道草食ってんじゃねぇ」と言葉をぶつける。馬としては道草こそがエネルギーの源なのに。定期的にちゃんとメシを食わせてもらっているのか

社会のレールから脱線したのは電車ではなく、私だけだった。

レール横の畦道をゆっくり歩ければ。 *** 社会のレール。この言葉をよく耳にするのか、それとも自分が過敏になっているのかは分からないが、ともかく社会のレールについて考える機会が増えた。 社会のレールに乗っていることの定義は難しい。ただ今回は一義的に、偏差値の高い大学を卒業、規模の大きな企業に就職、結婚・子育てを一つの軸に据え、可処分所得がそれなりにあり、趣味にもある程度お金を使え、たまには美味しいものを食べて。 そんな状況を得ることを社会のレールに乗ると言うこととしたい

旅は非日常を楽しむだけでは物足りない

毎日意識的に日光を浴びているという人はどこまでいるのだろうか。日々の生活の中で、日光の存在に気づくというのは、なかなかに難しい。そんなことを少し遠くまで花を見に来たときに思った。これは小さな旅での気付きである。 キンセンカ キンセンカやマーガレットは自ら日光に手を伸ばしているようだった。せっかくの春の到来を逃すまいと、すっくと茎をのばし、花弁を空に向けている。無数の花々が広がる非日常的な光景がそこにはある。そのようなことを考えながら、彼らのすぐ近くのベンチに腰を下ろしてみ

ぼくの親はランドセルを選べなかった。

ランドセルを背負うという行為そのものが、成人式と同じくらい、子の成長を表す通過儀礼なのかもしれない。 ラン活という一大イベントこれはもしかすると親にとって、子育て人生の中でも上位に食い込む一大イベントなのかもしれない。私自身に子はいないが、早ければ小学校入学の一年前くらいかランドセルを選ぶ活動すなわちラン活が行われるこの国では、毎年「もうランドセル売ってる!」と思わされるものである。 親が選べる最初で最後のチャンス私服登校の中学・高校なら、生徒自らの意志でその辺で売ってい

貴方の額に落ちた雨粒、私の怨念かもしれませんよ。

晴耕、晴耕、晴耕、晴耕、、、、 おい!雨読はいつくるんや? 晴耕雨読に憧れて晴れた日には耕して、雨が降ったら読書して。ああ、なんと健やかな生活なのだろう。体も頭も充実していく。そんな日々を私は謳歌している。 とはいかず、晴耕、晴耕、晴耕、晴耕、、、、 おい!雨読はいつくるんや? 香川県は本当に雨が少ない。そのおかげで香川県には「香川県民の興味は早明浦ダムの貯水率ぐらいだ」というジョークがある。日本で水不足というニュースが流れるとき、大抵それは早明浦ダムのことを指している

諦めがもたらしたのは納得だった

10秒台で走る選手が隣のレーンにいて、私は絶望した。 伸びないタイム私は中高6年間を陸上競技部で過ごした。今振り返ると、そこには悔しかったり辛かったりした場面が多いように思う。もちろん地区大会さえも突破するのが難しい、並以下の選手ではあったが、自分なりに辛さは味わったと思っている。もちろん、一番つらかったのはタイムが伸びなかったことだ。 私は4年かけて100mのタイムが0.8秒しか縮まらなかった。中2の終わりに12秒97を出して、高1で12秒54、ただ最終的に高3では12

「オリックスファンなのですか?」という奇跡をあなたはまだ知らない

オリックスが最後に優勝したのは私の生まれた1995年である。「がんばろうKOBE」のあの年である。つまり、私はオリックスファンでありながら、生まれてこの方オリックスの優勝をこの目で見ていないのだ。 さて大阪生まれ大阪育ちの私がオリックスにのめりこんでいくのは、小学生も高学年になる頃。当時、父がオリックスのファンクラブに入会させてくれたおかげで、頻繁に大阪ドームに足を運んだ(当時小学生会員は入場無料だった)。 そして、びっくりするくらい負けた。私が球場にいるからオリックスが

「人それぞれ」という拒絶

「人それぞれ」 みんな違ってみんないい。ただ同時に、もう私とは関わらないでという意味が含まれていることもある。 人を下から見上げてみたとて世の中には特殊な才能、突飛なアイデアを持つ人がごまんといる。また「人がついてくる人」とでも言うのだろうか、いろんな人を巻き込んで大きな力を生み出す人もいる。 自分で言うのも変だが、自分のペースが乱れること。これが苦手だ。 だからこそ、そんな彼らを下から見上げてすげぇなと思う反面、多くの場合で「今は巻き込まないで」と思ってしまう。だって、

桜の次は足元の「小さな春」を楽しんでみませんか?

春は少し背伸びがしたくなる季節。とはいえ、しっかり膝を曲げないと高くは飛べないものだから。だからこそ、春からの飛躍に向け、まずはしゃがんで足元の「小さな春」を楽しんでみませんか。 勿忘草(ワスレナグサ)。ムラサキ科。しゃがまないと見つけられないくらい小さな花。とはいえ、しゃがみたくなる愛らしさ。 コハコベ。ナデシコ科。小さいけれど凛とした印象。 ホトケノザ。シソ科。葉を見たらたしかにシソに見えなくもないですかね?種をアリに運んでもらうらしい。 オオイヌノフグリ。オオバ