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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり… もっと読む
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2020年9月の記事一覧

怒るのは面倒くさい

他人のために自分の怒りを施してあげるほど、優しい人間ではない。 怒る人は何に怒っているのだろうか?日常生活においても、またSNS上においても、怒っている人というのは度々目にする。 毎度思うのだが、何をそんなに怒っているのだろうか? 私は昔から怒るのも、怒られるのも得意ではない。 確かに不条理や整合性の取れない論理に対する不満や憤りは感じる。 ただそれを感じているときに、怒っているかと問われると案外そうでもない。 怒っているというよりは、違和感を覚えているだけなのである

励ましではどうにもならない日に、Dreams Come True 『朝がまた来る』

現状を受け入れるというのは、現状を打破するくらいに難しいことだ。 ――― 『朝がまた来る』 Dreams Come True (ドリカム)のこの曲はどうやら1999年にリリースされたらしい。 当の私はというと1995年生まれなので、この曲が日本を駆け巡った時代を覚えてなどいない。 しかし、この曲は昔から両親が運転する車の中でよく耳にしたように思う。 また歌詞の意味など理解できない私にとって、どこか陽気な歌のようにも聞こえていた。 ———— 成長した私は人並みに当時の

I'm hereを言うために

I'm here wherever I live (自分がどこに居ようと、自分はここにいるじゃないか) 紳士と外国人先日、丸亀市内の通町商店街を歩いていると、白いひげを蓄えた紳士ととある外国人が話し込んでいた。 コロナ禍で外国人観光客が姿を消した昨今、日本人と外国人が会話しているという光景自体が私にとってはとても珍しく見えたのである。 また、子どもすらいない島に住む私にとって、外国人が目の前にいるというのは、もっとも稀有な状況でもあった。 紳士の過去アメリカ出身という彼

後ろ向きに生きる自由

夢はある種の不満である ポジティブ教と私どこか「ポジティブ教」への入信を迫られているような気がしてならない日がある。 生き方のハウツーに言及する記事や書籍は いつも笑顔で 嫌いな人でも好きなところを見つけてみよう なんて言ってみたりする。 このようなことは序の口で、やはり最後は、 夢を持とう で締めくくられる。 たしかに不満なんて口にせず、ポジティブを目指した方が人生は明るいだろう。 ただ、逆に言えば、人生に不満がないから、ポジティブで楽しく生きられるのだろう

感覚の均質化に抗う~触れて学ぶ大切さ~

画面やスピーカーから発されるデジタル化された情報は、私の感覚を徐々に均質化しているのかもしれない 農家さんの教え私に農作業を教えてくれる男性。御年85歳。 彼は常にこのようなアドバイスをくれる。 「今何が必要か、今後何が必要かを、作物から察しないとアカンぞ」 それは葉の色であったり、土の乾き具合であったりと「察する」要素は山ほどあるらしい。 だから、一応、私も私なりに葉や土の色にはこの夏、気を遣ってきた。 厚さの異なる唐辛子の葉現在、来春からの本格栽培に向けて、2畝分

私をコミケに連れてって ~「好き」のパワーに憧れて~

好きなものを好きと言える空間で、好きなものを売り、好きなものを買う。 現れたオタクたち大学院時代、生まれて初めて「オタク」を自負する人たちと時間を長く共にした。 研究室にはアニメをテーマに論文を書いている人もいたし、住んでいた学生寮にはアニメ研究会に所属する後輩がいた。 そのような人たちに囲まれていると、いつの間にか自分もオタクを扱う論文を手に取ってみたりして、もっとオタクを自負する人たちに会ってみたいと思うようになったのである。 桁違いのイベント規模オタクの方々が集

太巻きみたいな生き方を

一番端っこの具がはみ出たところが好きです。 信念を貫け?信念を貫け。一意専心。 信念を貫く人は、見ていて清々しい。 いつも称賛の対象。 つまり、カッコいいのです。 さてさて、自分の信念って何だろう? 自分の信念を絞り出す少し頭をひねってみます。 一度、疑ってみること 予想を積み重ねて、予想外を楽しむこと とりあえず二つほど浮かんできました。 もう少し、考えてみます。 ちゃんと謝ること 辛いときは辛いと言うこと できてはいるとは思えませんが、気を付けようとは思

図書館で感じた絶望と奇跡の一冊

「あぁ、ここにある本の大半は読まずに死んでいくんやな」 本に囲まれたくて本に囲まれるのが好きという人は少なくないだろう。 今や郊外には大型書店が出店し、またこんな田舎にブックカフェ?なんてことも増えてきた。 スマホにパソコンとデジタル化が進んだとはいっても、手に取れる本は私たちの心を掴んで離さない。 私もまた本に囲まれたいと願う人間の1人である。 もし神様に「何か一つだけを選んで、あとは全て捨てなさい」と言われれば、きっと気に入っている本を選ぶと思う。 そのくらいに

ハンガーの水滴は蒸発するのが先か、地面に落ちるのが先か?

昨日、ほぼ一ヵ月ぶりに雨が降った。土砂降りに近かった。 一ヵ月もの間、雨を見ないというのは、人生で初めてだったように思う。 そのため、この一ヵ月は天気など気にせず、洗濯を自分の好きなタイミングで行っていた。 いうなれば、突発的洗濯である。 しかし、昨日に限っては、久しぶりに 「昨日も雨だったし、明日も雨らしいから、今日洗濯するしかない」 と計画的洗濯を迫られた。 昨日の土砂降りは、地面の土の色を黒くしただけでなく、木の葉に私のバイクにその雫を滴らせ、もちろん例に漏れ

「意識とかどうでもいい系」の主張

僕、意識は高くないんです。 とか言ったら怒られますかね? 「意識が高い人」とかみ合わない 島暮らしをしたり、毎日note更新をしていると、ときどき、いわゆる「意識が高そうな人」がメッセージをくれたりする。 そういう人というのは、起業したり、投資したりという目標を持っていて、私も一応は自営を目指しているのでどうやら仲間意識をお持ちのようだ。 ただ、私が常に感じるのは、彼らと私の温度差。 つまり、彼らが高くて、私が低いのだ。 彼の際限ない上昇志向は素晴らしいものだが、

生まれて初めて「雨乞い」をした話

思い出はいつの日も「晴れ」 好きな天気「晴れ」好きな天気は?といわれると、有無を言わさず、 「晴れ」 と答えてきた。多くの方がそうなのかもしれないが、私は、人並み以上に「晴れ」が好きだという自負がある。 基本的に私は曇っていると、すこぶる気分が悪くなるタイプだ。 空模様の悪さに比例して、心もどんよりする。 そのため、日本海側に位置し「ずっと曇っている」札幌での2年間は、時々、本当に病んでしまいそうになった。 札幌の11月は草木は枯れて、雪も降らないのに、曇っている