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「避難をしていてもいいんだ」という環境を地域の中に作り出す

今回お話を伺うのは、大阪公立大学教授の除本理史さん。7月30日に行われる、「倉敷・水島の公害と福島原発事故 2つの公害をむすぶ シンポジウム」でも登壇されます。東京電力福島第一原子力発電所事故後、これまでの公害研究をふまえた視点から原発事故の賠償問題に研究者として取り組み、発信し続けています。

服部 もともと、除本先生が公害問題に関わるようになったきっかけはなんだったのでしょう。

除本 私は神奈川県の横浜市で生まれ育ちました。東京湾の南端の埋立地で、海岸が地図では直線になっているんです。幼い頃、谷津干潟や盤州干潟(東京湾の千葉側)の埋立反対運動なども行われていました。ここは自然海岸が山砂で埋め立てられて、貝などの生物が激減してしまいました。
福島でも「マイナー・サブシステンス(※)」と言われているような、山菜とか川釣りなどがありますが、そういった豊かさが失われてしまった。
幼い頃から、そのことが残念だ、おかしいなという直感は明確にありました。自分の中では繋がっていなかったけれど、研究をする中で、それはずっとあったのだと思います。

服部 私も足尾銅山鉱毒事件の被害があった渡良瀬川の近く(栃木県佐野市)で生まれました。最近になって、ふと調べてみたら、銅(足尾銅山の鉱毒、主に硫酸銅)がまだ出ているんですね。私の友だちのお母さんが「渡瀬川には絶対に入らないで」と言っていたことがあって、「なんでだろう」と思っていたんですが、最近になって「ああ、こういうことだったのか」と思うようになりました。

除本 渡良瀬川下流の汚染状況については、まとまった文献がないんですよね。渡良瀬遊水地に溜めているという話になっているだけで、その泥の調査などもしているのでしょうか。

服部 時間の隔たりは想像以上にあるんですよね。ちゃんと調べていない、見えていないままです。
私の小学校の教頭先生は田中正造が大好きな人で、足尾鉱毒事件田中正造記念館の館長にもなった人なんです。その先生が積極的に足尾銅山の話を教えてくれた、その原体験は大きいんですね。
その後、当時の栃木県谷中村(鉱毒問題が起きた)の人々が、移住政策で移り住んだ、北海道のサロマ湖のほとりにも行ってきたんです。町誌を見てみたら、移住してから30年後には帰還運動もあったんですね。それを見て、「ああ、原発事故と同じだ」と思ったんです。
帰還するにあたっては、サロマ町の人から「なんで戻ろうとするんだ」という批判もあったようです。行く時にも極寒の地で大変だった、帰る時にも批判を受けて大変だった──被害者が苦しむ根幹は同じなんだなと思ってしまいました。

除本 この問題に関わる「原点」のようなものは、ありますよね。私も似たような感じだと思います。環境経済学をやり始めた時は、幼い頃の原体験に基づく研究だという意識はありましたが、2011年には研究者として10年以上経っていましたから、それまでやってきた公害研究の蓄積を福島でも応用して調査をしなくては、と関わったんです。でも、遡って考えてみると、幼少期の原体験につながっているんです。何らかのルーツを持っているというのは、ながーくやり続けるには大事なことかもしれませんね。

服部 そうは言っても、こんなに原発のことを考える人生になるとは思いませんでした。原発事故前から、浜岡原発が危ないということは知っていて、もし爆発したら関東から北へ避難をしなくては、とも思っていたんです。だから、福島の原発が爆発した時は驚きました。逆の方向に逃げる準備はしていなかった、と。

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水島ハルハウス前にて(2022.5.28)

服部 ところで、本題にうつりますと、原発事故から10年、賠償政策の歪みについて、どう思われるでしょうか。

除本 賠償では、まさに区域外の人たちが取り残されていることが最大の歪みじゃないでしょうか。私たちも賠償指針の見直しの提言をしますが、そのポイントは、区域外の話なんです。依然として裁判でも評価されていないのは区域外だと思うんです。そこの指針を作れというのが、一つの提言の目玉です。
生業訴訟(地域を返せ、生業を返せ!福島原発訴訟)でも、賠償の地域を判決で広げたりしているわけですから、政府が避難を出した区域の外側にも被害があったんだということを認めさせるべきです。お金の問題ではないけど、損害の評価をちゃんとしないと、政策にもつながらないというのが公害の経験です。賠償のお皿に乗せた上で、政策でどう被害者を救済していくか、避難をしていく人をどう支えていくかを考えなくてはいけない。
服部さんたちがやっている、ほっと岡山のように、避難先で必要なケアをするということも、個人にお金が払われて解決する問題ではないですよね。人と人とが繋がる中で生活再建しなくてはならない。社会での関係性が壊れてしまうと個人が抱えていた問題が拡大してしまうことが多いじゃないですか。だから、もともと持っていた社会関係を避難先でもう一度作り直すようなことを政策的に支援することは大切だと思います。それは、個人への賠償で済むものではない。
個人への賠償の最大の問題は、それまでにあった格差をそのまま反映させちゃうということです。困っている人のところには必ずしも行かないのが賠償だから。
例えば、埼玉県に双葉町から避難したおじいちゃんは、一人暮らしでもともと収入も持ち家もないので、慰謝料と家財の賠償しかないんです。そういう人は、仮設の無償提供がなくなったら生きていけなくなってしまうんですよね。「帰還困難区域はお金もらっているんだろう」という話になるけれど、それは人によります。少ない人は少なくて、そういう凸凹があるから、きめ細かく実態を知って支援していかなくてはなりません。
復興政策をドカンと公共事業でやり、賠償をとりあえずやり──では解決しないから、丁寧なフォローが重要となる局面が必ず出てきます。

服部 人はダメージから回復するのに、一律のアプローチをするのでは難しい。一人一人、それぞれです。そして、回復の「ゴール」も立てにくい。ダメージを受けるというのはそういうことですよね。

除本 そうですね。2015年くらいから、大手の一部のメディアから「今後の課題はなんですか」と聞かれることが増えました。わかりやすい解がほしいんだと思います。その問いには、「みえにくくなりますよ」と答えているんです。「早く賠償しろ」とか、「早く除染しろ」とか、わかりやすいワードでは括れなくなってしまいます。置かれている状況が細分化されていて、状況が掴めなくなってくるのは明らかだから、わかりやすい答えなんてないよ、って答えているんです。

服部 「答えはあるだろう」という発想が、上から目線のようにも思うんです。頭の中の世界。でも実際の生身の人間は一人一人違う。
除本先生が、区域外の人たちに11年経っても賠償や支援制度が必要だと思ったのか、ということは、まさにその取り残されちゃうという問題なんですよね。

除本 政策的に大きなかたまりとして取り残されているのは避難指示区域外の人々です。さきほどの、「帰還困難区域の困っている人」の場合は見えにくいけど重要なケースとして、つぶさに見ていかなくてはならないけれど、区域外の話はそもそも「政策がない」「制度が不在」の領域が広大に広がっている。そこはまず手当すべきですよね。
個々にフォローが必要な人には、行政が考えても良い回答は出ないことの方が多いです。近くにいる人がケアを継続できる条件を政策がやることが必要です。
だけど、いま、その「支援」の現場にも、縮小の動きがあると聞いています。

服部 なぜ、これまで民間で柔軟にやってきたのか、を大切にしてほしいとも思います。現場の実感としては、柔軟にやっても、それでもやっとだったという感覚です。関係性を大事にやってきたんです。
でも、それに対しても、お友達同士なら支援はいらないでしょう、という話も聞いたことがあります。

除本 私が、「やるべきだろう」と思っていることの反対のことが起きています。
避難者の状況を自治体がただ情報として吸い上げても、何もできないのではないかと思います。
一方、箱物の工事などはたくさんやっています。きめ細やかな活動ができる支援者が、柔軟に動ける状況にすべきではないかと、私もずっと訴えていますし、日弁連にも訴えています。
民間がやっている活動を行政がサポートすることが最良の方法ですが、最近は、逆に行政が主導するという話もあるようです。それは無理だし、残念ながら利用者側も求めていないとも思います。逆に高コストになると思います。
その意味では、思ったより大変な状態になっていると思います。これから裁判で「支援や救済の幅を広げたい」と闘ってきたのに、むしろ、「どこまで悪化させないか」という条件闘争になってしまいます。
官民共同、という言葉の「民」が駒になってはいけないんです。

服部 避難者支援に係る公的なお金、「被災者支援総合交付金」が実際にどのような運用となっているのか、国がきちんと把握していないような気がするのも気がかりです。本当に被害を受けた人たちにやるべき支援ができていない心配もあります。問題が見えにくくなっていると思います。

除本 ほっと岡山さんといっしょに7月30日に「2つの公害をむすぶ」というシンポを倉敷市水島で行いますが、そういった機会に、岡山県にも、原発事故の影響で避難している人がいるんだ、ということを周りの人も意識して生活してもらえると良いですね。裁判のことなども知ってほしい。
避難者の人が声をあげにくい状況はわかるけれど、こういう運動があって、ということは伝えていかなくてはいけないし、地域社会の側も、一緒にこの問題解決するように取り組みましょうというようなコミュニティができていかないと、本当に難しいと思います。
国を変える、議員を変えるより、地域の中でこの問題が認知されて、プライオリティを上げていこうということにならないと、裁判も勝てませんよね。

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最高裁は国の責任を認めなかったが、今後も裁判は各地で続く(2022.6.17)

服部 でも、その「語れない」という問題は根深いとも思うんです。地域社会の中にも、「いつまで避難支援だと言っているんだ」という声もあり、当事者にとっては恐怖です。安心して暮らせなくなってしまいます。「移住者」「避難者」という自分が何者か、ということも言えない、言いたくないという人もいました。

除本 隠していないと、圧殺されてしまうのでは、という恐怖感もあるのではないかとも思います。過剰な忖度というのでしょうか。
本来であれば、「自分はこういうアイデンティティを持っている」ということを、マイノリティであっても受け入れられるという俎上があるから言えるんですよね。でも、受け入れられなかったら、隠すか自分を殺すかせざるを得ないわけで、周りが「いつまでもそんな支援支援なんて言っているんじゃないよ」と言われたら、それは社会関係を切ることになってしまう。
周りの寛容さがない。同調圧力も大きいし、自己責任化が強く働いているから、困っている人を、社会が支えることに対して、すごく不寛容になっている。
「いつまで避難支援と言っている」というのは、その社会を現しています。「誰にも頼らずに健康でバリバリ働ける人」というのが良い人、という価値序列があって、そういう序列にあてはまらない人たちは「低く」見られてしまう。
旧来型の価値観の中にも、言いにくさはあると思います。「わきまえなきゃ」という人が、感覚的に多いのかな、と思うんです。「わきまえない」というのが、これからの鍵かもしれませんね。

服部 数年前に、「もう、私は私で生きていきたいから」と言って去っていった避難者さんがおられたのが、忘れられないんです。「そうなっちゃうよね」と分かる一方で、「それはダメ」とも言えない。

除本 文字通り、そう思っているなら、それでも良いのですが、そう言わざるを得ない状況があったり、周りから「自立した」という眼差しを獲得したかったり、価値序列の上、あるいは外にいたい、といったそういう感覚かもしれません。
資本側が求めるような労働者の価値序列、自己責任=偉いとされてしまうような価値観があります。新自由主義的世界ですよね。稼げる人がいい人、という。

服部 働ける人も働けない人も生きられる寛容な社会というのを、どう身の回りから作れるのか、ということを考えた方がいいのかもしれませんね。

除本 そういう生きづらさ、心理的負担をどう低減していくのか、というのが、被災者救済だと捉えることが大切だと思います。賠償だけではなく、もちろん箱物でもなく、「避難をしていてもいいんだ」という環境を地域の中に作り出すことが大事です。
原発事故も、公害の側面があるんです。被害者の人たちは「元に戻してくれ」というのがあるんですね。金なんていらないんです。でも、無理なら、じゃあ何を?と考えなくてはならない。
でも、原状回復(元通りにする)が抜け落ちて、受忍限度(我慢の上限)を押し付ける──これは、あなたも被害者になったら受け入れられるの?という話ですよね。原発事故の被害はそもそも取り返しのつかない、人生を奪う出来事だったわけです。そんな犠牲を払ってまで、原子力発電の「社会的便益」は必要なんでしょうか?
福島原発事故の被害を放置したまま、原発の再稼働が進んでいく現状があります。これでは、被害者は、「しょうがないの?」「許容すべきなの?」と自問せざるをえないでしょう。事故の被害の深刻さを、どこまで社会が認識するか、ということかもしれません。やっぱり、当事者に語れる人がいたら、どんどん語っていただくことが大切かもしれません。

服部 これから4―5年は、「言っていいんだよ」に注力していきたいと思います。細く、長くですね。

除本 原発事故の賠償も、加害者主導でした。被害者の声がない。生活の被害、暮らし全体が壊されたことが見えにくい。地域の中で暮らすのが当たり前だった人たちが、それを壊されてしまったのに、我慢してしまう。でも、感情の発露はとても必要で、喜怒哀楽は大事なんです。言いたいことは言わないといけません。
今までしんどい目にあってきた公害の患者さん、水島の患者さんもそうですが、しんどい経験をして、そのうえで町を作っていくことを、20年以上やってきた方々です。患者会の方々と、今しんどい避難者さんとが交流すれば、何か発見があるのではないかな、とも思います。「私たち同じだね」と共感しあえる場になったら良いですよね。

服部 患者会の方と、ほんの少しだけお話しする機会があったんですが、少ししか話していないのに、涙を流して聞いてくださって・・・先輩方の立ち振る舞いも、私たちの生きる糧になるのかもしれませんね。

(※)生計を維持するための主要な生業にはなりえない,経済的意味はさほど大きくない生業のこと

語り手/除本理史(よけもと・まさふみ)大阪公立大学教員。著書:『きみのまちに未来はあるか?-「根っこ」から地域をつくる』(共著、岩波ジュニア新書)『公害から福島を考える』(岩波書店)『原発賠償を問う』(岩波ブックレット)など
まとめ/吉田千亜(よしだ・ちあ)フリーライター。著書:『ルポ 母子避難―消されゆく原発事故被害者』(岩波新書) /『その後の福島-原発事故後を生きる人々』(人文書院)/『孤塁-双葉郡消防士たちの3.11』(岩波書店)など。