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感極まるくらいの寸前

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不意に感じたこと考えたことを含め、もよおした気分をそのままあるいは工夫して綴ります。
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2022年2月の記事一覧

認められたいより、認めたくない、がわたしには大事。〜SNSでのひねくれ自戒〜

認められたいより、認めたくない、がわたしには大事。〜SNSでのひねくれ自戒〜

うまく言えないことを、そのまま、書きつけようと思う。時間がないからではなく、ほんとうにうまく言えないから。

ここに加えてわたしはFacebookをやっていて、たくさんの、いいね、をつけている記事を見るのだが、どうも、主張している人の意識、つまりなにかを発信したいという欲求とは別に、いいね!と賛同する人がいて、そのいいね!という欲求をひたすら集める仕掛けになっているような気がして、なんだか妙だと思

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忘備録的な考察。〜躁鬱のわたしなりの仕組みと屁のつっぱり的な対処〜

忘備録的な考察。〜躁鬱のわたしなりの仕組みと屁のつっぱり的な対処〜

わたしは躁鬱病という診断がついていて、それとの付き合いのなかで、いわば生活の知恵のように、感情の起伏を観察する癖がついている。喜怒哀楽という大雑把なものではなく、いま気持ちがもどんな表情をしているのか、というくらいの、いわば、気分のご機嫌、を伺うみたいなものに、あえて例えるなら近いかもしれない。

そんな中で、さまざまな表情を見せる気分の移り変わりが、一体どんなものからの影響を受けているのか、注意

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言い訳の、中途半端な状態のままに「ねばならない」を思ってみる。

言い訳の、中途半端な状態のままに「ねばならない」を思ってみる。

ねばならない、という思いが、つくづく自分を動かしていることに気づく。したい、という思いが持続しないぶんそうやって暮らしているのかも。

でも、ねばならない、で、続けていることを、いわば逆説として、あえて続けていくと。。たとえばここnoteで毎日書いている日記とか、筋トレとか、そういった暮らすことには直接関係ないことに、限定して、続けていくと。

その無意味さや、つまらなさ、といった、自分で自分を判

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