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認められたいより、認めたくない、がわたしには大事。〜SNSでのひねくれ自戒〜



うまく言えないことを、そのまま、書きつけようと思う。時間がないからではなく、ほんとうにうまく言えないから。

ここに加えてわたしはFacebookをやっていて、たくさんの、いいね、をつけている記事を見るのだが、どうも、主張している人の意識、つまりなにかを発信したいという欲求とは別に、いいね!と賛同する人がいて、そのいいね!という欲求をひたすら集める仕掛けになっているような気がして、なんだか妙だと思ってしまう。

なんだろう、歪んだ思いだとわかって、いるが、、SNSというものにおいては、発信する側以上に、それを受け取る側の、承認欲求、認められたいという、気持ちが、強く出て、それが発信者の思惑を超えてSNSを動かしているような、気がするのだ。極端な話、仮に発信者に、それほど認められたいという気持ちはないのだとしても、受け取り側に、認められたい、という気持ちが強くて、その気持ちに合致する主張が出てくると、飛びつくようにいいね!を押して、買う、みたいな。

だからどうだと、いうことではない。いい悪いでも、好き嫌いでもない。もちろんわたしだって、いいね!があれば嬉しい。だから本当は、なにが言いたかったのかというと。

せめて、認めたくない、そう簡単に認めて、たまるか、という気持ちを込めて、SNSではなんとかことばにしていきたい、、これもやはりうまく言えないが、なにかを断定したり、否定したりするかたちでなく。

もっと曖昧な、もぞもぞするようなことばで、綴りたいと、思っている。



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