「始めの第一歩」は始める前からみんな結構バラバラ

 新しいことを始めるときには常に何らかの不安とか、緊張とか、期待とかがあって。色々考えた末に今回、こういったブログというか、日記というかただのメモを始めようと思ったのだけど、新しいことはいつも自分にいい刺激を与えてくれる。

 面白い文章とか、きれいに起承転結が整った文章を書けるわけではない(別に書こうともしてない)から、最初からあまり意気込んで書くつもりはない。けれど、こうして書いてみるとなんだか大人ぶって書こうとしているなとは思う。このことはまた別の記事にして書くつもり。まあそんなことは置いておいて。

 ここでようやくタイトルの話。ローカルルールによるとは思うけれど「だるまさんがころんだ」を遊ぶとき、最初は鬼じゃない側が「始めの第一歩」を踏んでから始める。この遊びの目的は鬼に動いているところを見られないように鬼に近づく、というものだから、「始めの第一歩」はできるだけ大きい方が良い、というのはわかる話だと思う。子どもたちが遊んでいる様子を想像すると、足を精一杯伸ばしたり、手で反動をつけて飛んだりといった彼らなりの「大きく飛べる工夫」が想像できると思う。でもあまり前に出たくない子は反対に、あえて足一つ分しか進まないかもしれない。

 彼らがそうするのは、もちろんそれによって彼ら一人ひとりに「得」があるからだ。少ししか進まない子にも。一歩が大きい方が良いとか、そうじゃないのが悪いとかを言いたいわけじゃなくて。なぜこのことを書いたかというと、同じようなことが生きているうえでもよくあると感じたから。

 例えば、旅行に行く前に旅行先のことをどれだけ調べるだろうか。しっかり下調べしてスケジュールを組む人がいれば、最低限のことだけ調べて、あとは行き当たりばったり、なんて人もいるだろう。自分は後者。そんな風にして割れるのは、その人にとってはその方が楽しいからだ。自分はガチガチにスケジュールを組んで行く旅行を楽しめる気がしない。なぜそう思うのかというと、今までの経験がそう言っているから。

 「だるまさんがころんだ」を遊ぶ彼らも、旅行前の僕たちも、どちらも同じで、今までの経験と、その人の感性が「始めの第一歩」をどう踏むのかを決める。そこに誰か他人が何か言ったところでそうそう変わらない。それは今まさに新しいことを始めようとしている人も同じ。その人なりの方法で、その人が楽しいと思うレベルで「始めの第一歩」を踏み出そうとする。

 「始めの第一歩」にしては少し大きいかなとは思うのだけど、楽しめる程度に続けられたらと。上手く踏み出せていたらいいのだけれど。

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