なんかこわいけどいいや

 人生って小さな選択の積み重ねであると思ってるんだけど、その小さな小さな積み重ねによって、いつの間にか「自分」が形作られていくのって怖くないですか。僕は怖いです。いじられキャラで、姿勢が悪くて、目が良いだとか、笑い声が独特だとか、歩くのが遅いとか。そんなどうでもいいことなんだけど、気付いたら、そうなっていた。なりたくてなった訳じゃないんだけど。そんな過去の堆積物に支配されて、未来の選択肢が狭まっているのかなって思う。人はたぶん今までの経験に基づいて、一番いいなと思った選択をするから。選んでるようにみえて、実は最初っから選択肢は一つなのかもしれないし。そんな感じの人生がなんだかいやで、なんかこわいね、って思います。折角生まれたんだから色んなことをしたい。そう思って、いつも自分のしなさそうな、珍しい選択肢に飛びついているつもりなんですけど、それでも自分の思考の外の外の外側に、あっと驚くようなおもろい選択が無限にあるはずなんですよ。そして、そういう選択肢をくれる存在として友達がいるのだと思います。全く興味のなかった音楽にハマらせてくれるきっかけであったり。色んな人と絡むということは色んな人の価値観を知るということで、そうやって自分の幅を広げていきたいなぁと思ったり。今僕が深夜1時40分にこんな文章を書いているのも最果夕ヒさんのエッセイを読んで何か書きたいと思ったからだし。色んなものに、もっともっと触れていきたいね。あわよくばこの世の全てを知りたい。そして、モテたい。
 
結局、何が言いたいんだっけ。まあなんでもいいか。最果夕ヒさんのめちゃくちゃおもろいエッセイ、「きみの言い訳は最高の芸術」を皆読もうね。

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