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因縁あった土地の神様へのご挨拶と1時間の道中に感じたこと。


因縁があった生まれた土地の西区の産土力の神様にお世話になったご挨拶に行ってきました。

直感的に1つの因縁から卒業したことを感じて土地に因縁の神様にお礼をしましたが、リリアンのゆり先生から神社仏閣でご挨拶をしたほうが良いと聞いて来週を予定していました。

今朝お導きがあって7時半からから出かけました、合わせて転職アドバイザーから最新版の写真添付のアドバイスを頂き背広で撮影の予定もあったので背広で撮影後にお参りになりました。

神社仏閣の作法に無頓着でしたので近くに着いたら神様にご報告(人間的には近くに着いたので間も無く到着の連絡)をして可能でされば神職の方に事情を話して作法を教わるつもりです。

不在ならネット譲歩と感覚で感謝の気持ちを捧げさせて頂きます。

神様は人で例えれば親です。気軽に訪ねてくれるのが嬉しいですが手土産があればもっと喜ばれるます、それは物ではなく親を思う気持ちが嬉しい。神社作法も同様で先ずは思いが大切、その上で作法も揃えば喜ばれる。

作法だけは親に高価な物を渡して「ドヤ顔」の感じ

生まれた土地の神様へのお礼参りが終えて、途中で場所を教えてくれた方や作法を教えて頂いた宮司さん、そして今日これからご縁を頂いた方に感謝です。出会いは奇跡!

就職活動でこんな事がありました。申し込みをしても何の返事も無く連絡先の登録だけで不採用の要因もないので、暫く待って連絡をすると通知が来ていないとか募集は終わったけど告知はそのままの事業者も時折り居ました。

それを責めるつもりはないが、私は応募する人ひいては従業員を大切にしていないと感じています。面談まで行って面接官の印象が良ければ別だけど断るようにしています。

自分は品定めされる対象では無いので、性格的に細かい試験官は仕方ないが人物評価目的の質問は好きになれない。グループも同様に感じました。

ここ5年、10年で何度となくどん底の人生に落ちました、それは使命のためにあった。ネットも含めてリアルで出会う人で芯から優しくて良い人は壮絶な人生を送った方が主でした。

神様から愛される人は人生のどん底経験を必ずる、だから神様に目を掛けられない方がいい。サラリーマンでいえば平社員を社命で役員にするのと同様でオーナー社長ならいざ知らずに、誰もが認める役員になるにはそれなりの経験や実積が入ります。一般社員が10年の時間が必要な事を1年で済ませる為に過酷でギリギリの社命が下ります。

人間界から試練から逃げて平社員の選択もあるが神命にはそれがない生きるか死ぬかの世界。

正解を求めるつまらなさ。結果としてどんな行動も正解なので矛盾した記事になりますが、セッションやキネシで人生ベストの道を求める方法も在りますが自己中の判断で「アチャ」と思う人生選択するのもいとおかしかも知れません。



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