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障害者に対する思いを綴った若き日の作文

ある福祉施設の不合格だった論文(作文)です。これは若き50歳になって建設業界から介護業界に入ろうと思って作成した文の控えです。

不合格の原因が先方の会社や施設(長)との相性かはたまた福祉に対する思いかは分かりませんが介護歴0年の初心を忘れないように掲載しました。

あと数年で介護歴10年になりますが、それまでに答えが見つかるかな?


共に生きる事

私が考える共に生きるのに大切な事は、障害の有無等で差別はなく、個性に応じた援助が当たり前に提供できる環境が整っている事。 

障害を持っていても出来る事は当事者が行い、心身的の状況により意志とは関係なく無理な事は、出来る者が上下の関係ではなく平等の立場で自然に行える社会(環境)に変革していく事が重要であると思います。

そのためには頭で理解するだけでなく、実際に交流と通じて相手を理解しいく事が必要不可欠かと考えています。

障害者に対する当たり前の援助環境として「本人の意思で自由に移動できる交通環境」「本人の意思を伝える通訳・介助環境」が自立のためには不可欠と思われます。

共働

共生の一面として、他者・社会と関わる場として働く場は不可欠です。働く場では障害の有無に関係なく(特性の配慮は必要と思われる)、希望する仕事に就労出来る環境づくりが大切かと考えます。

一般的な会社員(社会人)は健常者だけの世界に生まれ育ったために非健常者に対するコミュニケーションの不足を補うために、障害の特性及び対処法についてレクチャーを行い理解を深める必要性があると考えます。

また、就労後は障害による不便さや不公平をなくすために聞き取りを行い、継続的に補助を行っていく体制づくりが長期就労につながる鍵と思います。

共育

子供時代から健常者・障害者の両者が共存するのが正常な社会である事を体感するためには障害を持った児童の障害に応じた援助を行い、共に学ぶ場こそが本人および周囲の健全な成長につながると思います。

特性によっては個別学習も必要と思われますが、他の児童に対して「特別な事ではなく、各自が持つ個性の1つ、障害の有無は人間性とは全く関係ない事」を理解させる教育が必要と思われます。

介護について

私の望む介護(介助)は知的・精神障害、認知症等のために自らの思いを伝えられない・伝えにくい方の思いを時間をかけてお手伝いする事、それらの方が社会で生きやすくするための情宣を行っていく事です。 

今までの経歴で学んだ事

20代前半に入った授産施設を中退後に好きな通信(電話)の工事で10年行っていました。
その後は結婚・子育てのために好きな仕事から現在の全国の現場を転々とする現場管理の仕事に変わりました。

現在の会社は能力によって賞与、昇進が決まります、その中で本当にそれで良いのかの疑問が湧きました。また今の仕事を定年まで続けて悔いはないかの自問がありました。

それまでは現在は下の娘が高校2年で、娘が卒業後に福祉(介護)をやりたいの想いがありました。

昨年に「次ぎの現場までが半年以上あり、その間は名古屋にいる事」が判明したため介護職員新任者研修を受講しました。
研修受講まで福祉(介護)に対しては漠然とした想いしかありませんでした。 

しかし現場についている介護職の講師から介護職の意義・あるべき姿と喜びを聞き、強い共感と興味を持ち今日に至りました。

書き終えて気づいた事は

それまでに介護は別にして福祉に関わる事をしなかったかと聞かれれば20代に手話や要約筆記を行い30代で点字サークル、盲ろう者ガイドヘルパーなど障害を持った方と関わり感動的な経験もしてきました。  

もしかしたら福祉に興味関心があるなら何らかのアクションがあってもおかしくなく、それは福祉書籍の読書かも知れない。そこが求めて居たのはキラキライメージではなく具体的に何かやってどう感じたかを聴き取りたかったのかも知れません。

障害者介護は興味ある分野

10月27日(金)中日新聞朝刊に『介助の人手が足りない』 の見出しで「障害福祉の分野は高齢者介護と比べても対応が多岐にわたる。知的障害、自閉症、行動障害で言葉でコミュニケーションが 取れない人など、利用者に応じた仕事の複雑さで敬遠されがちとなる。」とありましたが私のようにそれに魅力を感じる人も一定数いる感じがします。

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