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近親者を亡くして故人を想うこと

先日の9月29日(水)の深夜に近親者が亡くなった連絡を配偶者から頂きました。脳腫瘍の手術後から植物人間になって入院前に「万一の時は延命治療はしない」が本人の意思でした。

それを尊重して回復の見込みが無ければ、その時が来ることを想定していました。コロナ禍で対面面接が出来ずにタブレット越しに見たのが最後の姿でした。

年下の方を見送った経験は障害者グループホームで重度の寝たっきりの方が三人居てその内一人が還暦を超えた方で私の担当で他の二人は中年の方でした。

一人は治療の為に入院中に悪化して亡くなった女性だったので何となく気管切開してカニュウレイを挿入するのが嫌であちらに帰られたように通夜の日に感じました。

もう一人は男性で人見知りが激しく人に掴みかかる時もありました。この方は骨折で入院して退院前日に急変して亡くなりました。

二人は心優しい方でグループホームで亡くなれば現場検証で警察などが入ってバタバタするのが嫌で病院で旅立ったのかなと思ったりしました。

重度障害の方は話しは出来なくても本当に心清らかで優しい方が多いように感じました。

もう一度重専(重度障害者の専門のヘルパー)になりたいとも思いましたが出会った方とはその施設でしか居らずに二人として同じ人は居ない事を思い出して実行はしませんでした。

話しは亡くなった近親者の話しに戻します。通夜は早退しましたが比較的余裕のある日で告別式はたまたまの土曜日休みでした。

帰りに利用したタクシーでは誤った道を指示して運行時間が長くなり金額はかさみましたが神様の時間調整に感じて、何となく故人がその方に多少でも多めに収入が入るような仕組みだったように感じました。

男同士の兄弟はどこもそうなのか家たけか分かりませんが余り会話もなく参列者や記念アルバムを見て弟の生き様を見た感じでした。

本来は近親者のみの通夜の予定でしたがどうしても参列したい希望者のみ参列して頂いたようです。

告別式は近親者だけで行うので通夜が見納めのためか故人の人徳か顔をしっかり見られて暫く棺桶近くに居た方を見て、自分も残りの人生のこのように人に慕われるような生き方が出来るように出会う人々と真心で接したと感じました。



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