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適正と努力について連続ドラマから思うこと

朝の出かけに【連続テレビ小説】舞いあがれ!の一場面を見ました、あらすじは次の通りです。

舞(福原遥)、柏木学生(目黒蓮)、水島学生(佐野弘樹)は緊張したプリソロチェックを終えて、大河内教官(吉川晃司)から結果を伝えられる。柏木学生は、無事に合格する。そして着陸にてこずった舞も、何とか合格する。舞は急な横風に煽られ着陸ミスをしたことを気にかけて大河内教官に尋ねると、大河内は着陸を取りやめ危険回避をしたことを評価したと答えるが、センターラインを外した着陸を改善するよう指導される。

NHKプラス

主人公舞は「水島学生は技術力は私より上です、プレッシャーに弱い面がありますが」の問いに大河内教官は「私は(適正の無いものを)落とすためにここにいる」の場面を見ました。

大河内教官の心中を勝手に想像しました、「パイロットに取ってプレッシャーに弱い事は致命的で最悪は搭乗者の命を奪う事もある、パイロットの人生も閉ざされします。そんな悲劇も見てきた、悲劇を無くす為に教官なった」そんなイメージが湧きました。

本当の優しさ、思いやりは時には本人のために残酷な言葉も発するのかなと感じました。

身体介護が苦手と言うか経験的に努力しても適正的に合わない感じがする中で水島学生と同じ窮地に立たされています。

そんな折にその事を通して自分は本当は何をやりたかったのかを自問自答したいと思っています。その奥には適正的にピッタリの答えが待っている感じがします。

建設業の現場管理でも発達障害者の支援でも現場なり当事者のパニックを収めるために最後の砦の役割を今一度思いだしてパニックに強いメンタルに鍛えたいと思っています。


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