色々な障がいを持った方と接した30年

障害者を可哀想・大変だと思う心の奥には

「障害」を持った方をみて可哀想と言われ方も多いです、悪気(悪意を持った)のあるつもりではなく善意の気持ちで言われているのは伝わります。

私は違和感があります「可哀想」の言葉は自分より(思いの中で)目下に言う言葉かと思っていました。実力も権限もある上司が会社から過剰なノルマを言われた時に「あの上司、可哀想」とも言っても違和感はありませんが、上司の力をノルマと比べて過少評 (下)に見ている気持ちはあると思います。

障害者と言われ人は存在しないように○○さんは障害を持っている存在かと思っています。○○さんとの関わりはあくまでも社会習慣に従っています。 私は51歳ですが若い人と同世代、目上の人では言い方や支障のない対応は異なっていいと思います。

身体的、知的に困難な事を手伝う(ケアする)仕事で対等で原則は本人の意志を優先しています。 知的に判断が難しい方のケアで明らかに本人に危険がある時や他者に危害を与える場合以外は行動に制限は加えません。

最初は他人行儀ですが毎回顔を合わして身体介助を行っていると(いい悪いは別にして)情が湧いてきます。 どんなに長く付き合っても精神(障害)を持つ方は本意とは関係ない信頼関係を断ち切る言動をされる時があります。

真面目な人程ほどショックを受ける事があると思います、健常者同士でしたら距離を置くことも出来ますが仕事の性格上離れるのは困難です。 人情としては愛情を掛けて居ればいるほど憎しみに変わり易いように思います。

我々健常者の生活でも全く関心もないか嫌いな人の言動を何とも思いませんが、信頼して頼りにした人が心外の言動をされると自分がどう思い、どう行動するかを考えればわかる気がします。

先に書きましたが彼らが違うのは障害ゆえに本人の本意に関係ない言動をしてしまう障害特性を理解して気持ちレベルまて落とし込む事かと思います。

どうしても対応が難しければお互いのために一時離れてる必要があるかと思います、想いを語れる場も欠かせない大切な事かと思います。

私はどんなに重度でも話しは伝わると感じています、ですから健常者と話すように接しています。障害特性によって適切なコミュニケーション方法は変わりますが、今やっている態度や言動を相手が健常者なら出来るかを指針にしています。

私は50歳ですので、社会に出れば若い人はそれなりに年配者には敬語になると思います。 介助をする方に還暦を迎えは方がベッド生活をされています。責任者の話しでは初めての訪問看護さんが下の名前でちゃん付けをするのを見て信頼出来ないと感じたそうです。

確かに初めて家庭に言って、そこの高齢者の下の名前をちゃんづけで呼んだら家族がどう感じるかを考えれば分かります。家族がいれば下の名前もあるかも知れません。

それなりの年齢の方をちゃん付け出来るのは、同世代以上で、本人や家族ともプライベートで親しくなった時だけかと思います。 相手が利用者さんの場合や目上の方の場合はあり得ないと思います。

これが知的障害の方が相手だと、悪気なく子供と接するような話し方をされる方もいますが気をつけたいものです。

心身障害について

ネットサーフィンをしていて「内部障害」「心の病(鬱病)」を患っている方のサイトを拝見、後者についてはチャットに参加させて頂いたことがあります。

一見で判断出来ないため理解を得られず辛い体験をしている事を知りました。特に「心の病(鬱病)」については当人しか分からない辛さがあり、専門家(医)でなければ病状を悪化させる危険性が高いと思います。

風邪をひいたらすぐ医者に行ける(薦められる)ように心の風邪をひいたら気軽に受診(相談)出来る物理的環境,風土が不可欠かと強く感じました。

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