見出し画像

「劇団」って、なに〜〜??

 何を隠そう、僕は元浪人生。某北九州の監獄で一年間お勉強させていただきました。とはいえ、当時の某予備校では東大志望が(昨年度東大を受験していることを条件に)異常に優遇されており、監獄の中でも特権階級として優雅に過ごさせてもらいました。当時からあんな特権はどうかと思っていましたが、おかげさまで合格できたのであまり文句を言いにくい立場にあります。

 その予備校で知り合ったのが、劇団解体社の劇団員、森澤友一郎先生。演劇活動の傍ら現代文の講師をしているすごい人です。最近はルイ゠フェルディナン・セリーヌの「戦争」を翻訳して出版していました。

 僕が演劇をするきっかけには、彼が東大で演劇をしていた黒歴史を語るのを聞いたことがあります。そういうわけで、一応は僕の演劇人生の始まりにある人なので、この前あった公演を見に行くことにしました。「アングラ演劇というより舞踏に近い」ということは聞いていたものの、Youtubeに上がっていた公演映像に怯えながら八王子のめちゃくちゃ遠いアトリエまでせっせと行ってきました。

行った公演のポスター

 公演の内容は正直よくわからなかったです。セリフはほとんどないし、なんか裸でバット振ってるし。それでもぐわっと来る身体っていうものに怯えつつ感動しました。
 そしてアフタートークの時間になります。演劇批評家の高橋宏幸さんが司会をしていました。(ある種、という言葉を多用する人)そこで話題に上がったのが、「劇団とは」というものです。
 劇団解体社はアトリエという拠点を大事にする劇団だそうです。民家を改装したのかな?って感じの外見、一階にはキッチンにトイレ、稽古場。二階には居住スペースがあるんだったけな。恩師森澤先生が言うには「劇団というのは、公演があるからとかではなく、定期的にみんなでアトリエに集まって稽古をしたり近況報告をしたり酒を飲んだり、そういう継続的な共同体なんだ」そうです。(大体こういうことを言ってた、程度のもので、そのままこういうことを言ってたわけではありません)
 コトバンクを見ていると色々と「劇団」の定義があり、森澤先生の言うことに近そうなのは改訂新版 世界大百科事典のもので、

俳優を主体にして,そのほか演劇上演に必要な人々が集まり,上演という共通目的のためにそれぞれの職能において協力しながら,組織的かつ持続的に上演活動をおこなう団体のこと。なお,〈劇場〉という言葉も,とくに〈○○劇場〉のような形で,〈劇団〉と同じ意味に用いられるが,その多くの場合は,ある演劇集団の活動が密接に特定の劇場空間と結びついていて,自然にあるいは意図的に同じ名前で呼ばれた場合である。ある意味ではそのような結びつきの強いことがむしろ当然であるから,実際,以下に述べるようにその例は数多い。

改訂新版 世界大百科事典

というものです。まあ、定義の比較検討なんて面倒だからしないですが。
 劇団の定義なんて色々あっていいとは思う。実際、劇団と名をつけてはいるけど一回しか公演しない団体も結構多いでしょう。(特に学生)ただ、アフタートークの後、稽古場兼劇場の部屋でプレミアムモルツを飲みながら「劇団ってあんま軽々しく名付けるもんじゃないよな〜」とぽやぽや考えていた。演劇歴2年程度の身で演劇論を語りながら貪るジャークチキンがとても美味しかった。
 最近椿組の花園神社野外公演を見に行ってきたが、そちらでも終演後の打ち上げが観客を巻き込んで行われていた。劇団が継続して公演をしていくからこそファンができて、役者とファンが顔馴染みになって、劇団を中心としたコミュニティができる。そういうコミュニティを大事にしたいから「劇団」という形をとり、継続して公演をし、打ち上げをするんだろうなと思った。

 僕が今後演劇をやっていくとして、劇団を作るだろうか。作らない、と、思う。そもそも僕は就職をするし、職種にはよるだろうけど演劇を継続的にやっていくってのは並のスタミナじゃ無理なのではと思う。だからこそ社会人「劇団」とかいう異常な集団には最大限の敬意を払いたいんだけど、僕には無理だと思った。やりたいこと、演劇だけじゃないし。
 それに、「劇団員」というのは恐ろしい。「劇団員」として所属してしまったら、その劇団の作品が内包する思想を代弁する一人になっちゃうんじゃないか。たいてい作演出とか主宰が勝手に色々捏ねた変な思想と責任を、劇団員にも背負わせるっていうのは、なかなか恐ろしいことなんじゃないか。僕の思想に友達を知らず知らず巻き込むってのは、怖い。
 だから、僕が演劇を続けるとして、そのやり方っていうのは「劇団の主宰」ではないと思う。どっかのグループに入れてもらうか、「劇団」ではない演劇団体を作ることになると思う。構成員は僕一人、公演のたびに、偶然そのとき演劇やりたい気持ちになってる友達にゲスト出演してもらう。そういう形式を取ることになると思う。僕が作る作品に込められた思想は僕のものであって、演じる俳優の思想ではない。共鳴してもらったら嬉しいかもしれないが、こちらから押しつけるのは怖い。こういうことを言うと、俳優を単なる道具のように思っていると思われるかもしれない。実際そうなのかもしれない。俳優だって色々考えるわけで、責任を背負える大人な訳で。とはいえ、単に僕はビビリなので、「劇団」なんて恐ろしいものを背負うことはできない。

 公演の主催団体名を考えながらそう言うことを考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?