人生から逃げ出した! しかし回り込まれてしまった!
20歳のときに大学をやめた。
25歳のときに大学をやめた。
大学を2回やめた。大学を2回やめて、2回とも沖縄に逃げた。なぜ沖縄なのかと言えば東北と北関東にしか住んだことのなかった当時の私にとって、遠くて日本語が通じて、そしてCoccoが生まれた島だったから。身も蓋もなく言えば「逃げ場として都合が良かったから」だ。
沖縄放浪は1回目が1週間ちょっと、2回目は3ヶ月間。あてもなくゲストハウスをぶらぶらしたり、日雇いでドカタの下っ端みたいな仕事をしたりもした。米軍基地でも働いた(そこは本当に日本ではなかった)。
大学の入学金と学費は2回とも、全額親に出してもらった。1回目にやめた時は親とかなり衝突した。2回目の時は親とちゃんと話した記憶もない。メール一通入れたか、どうだったか。
ある種の人々から見れば人間のクズだろう。でもそんなことは私にはどうでもいい。なぜならそのある種の人々は、私の人生に何の責任も負っていないからだ。
まだ続きがある。
27歳の時に3年生の専門学校に入った。学費は親が立て替え、そのうち半分は親が出してくれて、もう半分は卒後に私が返す、という話だったが、卒業後に結局全額親が出してくれることになった。
私は3年間、出席日数ギリギリで卒業して無事医学系の国家資格を取得したが、現在はまったく関係のない仕事をしている。
私を親不孝ぶりを責めるか、あるいは親をほめたたえたくなるような話だ。でも、これは事実の羅列であって創作でない。
そんな私も今や人の親である。
大晦日にタクシーで1時間かけて産婦人科に行ったら「まだ前駆陣痛だよ」と言われて家に帰り、元旦に再びタクシーで飛ばした時には陣痛の間隔も短く、タクシーの運ちゃんが心配で振り返るほどだった。この時の話は、いずれ書くかもしれない。
閑話休題。
親という生き物には、生物学っぽく言えば「自分の遺伝子を半分まぜこんだ人間を誕生させる」ことでなれるが、社会的には「親という生き方をまっとうしようとする」ことでしかなれない。
「親という生き方」は非常に困難でありまっとうできる人は多くないと思う。ひとことでいえば「子の人生に責任を負えないのに責任を取ろうとする生き方」だからだ。子が最終的に自立し親より後の未来を生きる(べき)存在である以上、責任を負うことは原理的にできない。人間が責任を負えるのは自分の人生だけだ。
冒頭に私の逃げを羅列したけれど、もっとわかりにくい「逃げ」もいっぱいある。形式上や見かけ上は逃げていなくても、ちゃんと向き合わなかったり何かから逃げるために別の何かに打ち込んだり。
自分の人生以外のあらゆるものから人間は逃げられるし、別に逃げたっていいと思う。ブラック企業や戦いたくもない戦争や、義務感しかない結婚生活を続ける必要はない。
ただし逃げたことも含めてそれが自分の人生だってことからは逃げられない。
親になった人間の人生には、人の親であるということが一生含まれている。子供の人生そのものに責任を負えなくても、自分の人生から逃げ出さないために生き続けなければいけない。
そして自分の人生を生き続ける、の具体的な意味については各自で探し、見出していかなければならないのだと思う。
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