ニセHSPの大量発生について
どうも。挨拶をして無視されたら3日は引きずる私です。
最近、HSPという言葉がすっかり浸透してきて、ネットだけでなく現実世界でも耳にする機会が増えてきました。
今更説明するまでもないですが、HSPとはざっくりいうと「繊細すぎる人」のことを指します。
ストレス過多な現代において、HSPの人が生きていくのは容易なことではありません。日常のどこかしこに”気になる”要素が潜んでいて頭がおかしくなりそうになるのが常です。
そんなHSPの人たちが近年増えてきているというニュースを見て喜んでいたのですが、なんかいろいろ気になったことがあるので語りたいと思います。
HSPの日常とは(私の場合)
まずはHSPというものをよく知らないという人のために、自他ともに認めるクソHSPの私の生活の様子を軽くお伝えしようかと思います。
まず朝起きます。外を走るかすかな車の音が気になって不快な気持ちになります。お風呂に入ります。いつもよりお湯がでるまでの時間が1.5秒くらい遅くてイライラします。朝ご飯を食べます。いつもと少し味が違ってもやもやします。トイレをします。便の量が普段より少ない気がして不安になります。着替えます。服のどこかに糸切れとかついてないか服を着た後に気になってもう一度服を脱ぎます・・・・
というように、普通の人ならあまり気にしないであろうこと(あるいは気にしてもすぐに忘れること)に対して敏感に反応し、しかもそれが半日くらい尾を引いたりします。面倒くさいですね。
私の場合、この繊細さはとくに人間関係において強力に発揮され、相手の目が普段より少し細いだけで「この人、私のことを疑っている」とか、すれ違う時に相手が顔を横に向けただけで「怒ってる?」とかメンタリスト顔負けの分析をして勝手に落ち込むということが一日に50回以上はあります。
絶好調なときには、相手に「ありがとう」と言われただけでも「もしや皮肉?」と勘繰る始末です。
よく「そんなに気にしていて疲れない?」と心配されますが、普通に疲れます。ただ、これは生まれ持った性質も大きく、自分でどうこうできるレベルではないので対処のしようがありません。
”繊細”と”繊細過ぎる”はたぶん違う
私はHSPが”繊細”というニュアンスで広まっていることに若干の違和感を抱いております。
日本語における”繊細”とは、どちらかというとプラスな表現として使われることが多いのではないかと思います。芸術作品なんかでも「これは繊細な技術で仕上がっている」とか言われるじゃないですか。
HSPが指すところの”繊細”とはどうもニュアンスが異なる気がしてなりません。HSPはもっと「繊細を通り越したもはや疾患」レベルを表していると思うのです。
もともと日本人というのは欧米などに比べて神経質な傾向にありますから、いわゆる”繊細”な人は多く存在すると思います。皆さんの中にも自分を繊細だと思っている人は少なくないのではないでしょうか。
私は”繊細”という性質自体は個性であり才能だと思っています。しかし、”繊細過ぎる”と話は変わります。
前者はその性質から気配り上手、鋭い観察眼、優れた芸術性などへと発展していくものです。一方、後者は逆に度が過ぎるがゆえに「気配りすべきことは分かっているけど人目が気になってできない」「自分のことで精いっぱいで他人のことなんて観察してる暇がない」「他人からの批判を恐れて自分らしさを出せない」などの弊害が生じます。
繊細過ぎると、それを個性として生かすことができず、むしろ自分自身の人間性を殺してしまいかねないのです。HSPとはそういうものなのです。
繊細さが”長所レベル”な人はHSPじゃない
冒頭でもお伝えしたように、近年HSPという言葉が世間に浸透しつつあります。
HSPは明確な病気ではないため、症状が非常にあいまいに定義されています。
そのため、普段は他人に肩をぶつけても1ミリも気にしないのに「俺も彼女に振られて食欲なくなったからHSPかも」とかいう輩が数多く爆誕しているのが現状です。
「私HSPだから映画見てすぐ泣いちゃう~←普通の人も映画で泣くよ」
「初対面の人と話すと緊張するな。俺もHSPかな←普通緊張するよ」
という感じでニセHSPが大量発生しているのであります。
まぁ、個人的にはHSPの定義なんてどうでもいいんですけど、繊細過ぎて精神疾患まで患ったことのある私から言わせれば、繊細さを他人に言えている時点でまだまだヒヨッコですよ。という謎の上から目線で締めくくりたいと思います。
大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。