見出し画像

私がインフラ業界に進みたい理由

私は現在大学3年生で、インターシップに向けてエントリーシートを準備している真っ最中です。そこで、そもそもどうして自分はこの業界に進みたいのかということについて文章にしてみようと思います。

まず、どうして私がインターンシップに参加したいのか説明します。現在、私は関西の大学に通っていますが、就職・勤務は地元である東海地方で行いたいと考えています。高校生の時から地元のことは好きだったので、何となく地元就職を望んでいましたが、大学での経験を通してこの気持ちは強くなりました。

私は大学で災害ボランティアサークルに所属しています。このサークルとの出会いは、新歓祭でのめぐりあわせとも言えて雰囲気の良さから入部を決めました。このサークルでは、過去の災害からずっと継続している活動も、新しく発生してしまった災害に対する活動も行っています。私はこれらの活動の中で、被災された方のお話も多く聞いてきましたし、被災した建物や町を見て心を痛めてきました。そして、「地元で災害が起きたときには、支援してもら側ではなく、支援する側に回れる人になろう」という意志を強く抱くようになりました。これは、この活動を続けてきた意地ともいえます。

ここで、私の地元である東海地方は100年以内に東海・南海・東南海地震が発生すると言われています。このことを考えると、より一層「地元のために支援活動をできるひとになりたい」「地元にいる大切な人たちに大変な思いをしてほしくない」という思いが増してきました。

だから、私の就活の軸は「災害時に人の役に立てる事業を行っていること」です。このことから、私の第一志望の業界はインフラ業界になりました。もちろん、この他にも災害時に人の役に立てる事業を行っている業界はあると思います。でも、この業界に興味を持った出来事があったのです。

私のバイト先には、阪神・淡路大震災を経験された方がいます。関西に住んでいる大人はだいたい経験しているものですが、2021年に雑談で阪神・淡路大震災の話題がでることは極めて少ないので、はっきりとは意識したことがありませんでした。ある日、私の就職活動の話になり就活の軸を伝えると、その人は1995年の話をしてくれました。

あの時は、水道もガスも電気も止まった。
1月は寒かったから電気が使えないのは大変だった。寒さは着こめばなんとかなるからまだよかったけど、夏だったら体調を崩す人が一杯いたと思う。
水道が使えなかったときは給水所まで水をもらいにいっていたけど、当時は7階に住んでいたから水を汲んでいたら1日が終わっていた。家じゅうの桶や鍋を水汲みに使った。あれ以来、上階に引っ越すのはやめた。
ガスはなかなか復旧しなくて、やっと復旧したときは安心した。
震災から1年くらい経ったころに、ルミナリエが始まった。私、あれを最初に見たとき泣いちゃった。「これだけ電気を使えるようになったんだ」と思ったら、感動してきたの。

この話を聞いたとき、電気をはじめとするインフラってただ生活を支えているのではないのだなと思いました。しかもそれだけでなく、いつも生活を支えているからこそ、あたりまえの日常のシンボルのような存在でもあるのだなと思いました。このお話を聞いた時、インフラ業界で働きたいという思いが強く芽生えました。

私も地元の皆さんの生活を支えたい。災害時には、少しでも早くいつもの生活を送れるようになる手助けをしたい。
こんな思いから私はインフラ業界を志すようになったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?