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人生史を振り返ってみた

先日、自己分析の一環として「自分史自己紹介」をしてみました。これは、生まれや家族構成、小中高生のときにどんな出来事があったかも含めて、20分くらいで長尺の自己紹介をするというものです。

これがめちゃくちゃ大変でした!!!

まず、自分史自己紹介をするって言われてから始めるまでに10分もない。その10分で振り返れるのはせいぜい生まれてから小学校くらい。こんなの人生の半分未満です。

次に、ただ話すだけでは人生というストーリーにならない。生まれてから、弟が生まれたり、学級委員をしてみたり、大学受験に成功してきましたが、これらは単発の思い出のように見えてそうではありません。人生はあの経験があったから、あの人に出会ったから、この選択をしたということの連続なのです。だから、高校時代のターンであの話をしたいから、小学校の子の思い出を話さないといけないというような逆算をしていました。生まれてから今という時間の流れで出来事を思い出しつつ、逆向きにも思考をめぐらせないといけない。大変なことは想像に難くないでしょう。

でも、この20分に頭をフル回転させたことで気づいたことがあります。

一つ目に、私は人生で自ら挑戦を選ぶことが多かったこと。例えば、小学生の時は自らクラス代表として全校生徒の前で発表するような機会を得ていました。中学生の時は自ら検定試験を受けることを決めて勉強していました。高校生の時は思い出せませんが、大学生の今は自ら論文コンクールなどに応募しています。聞いてくださっていた相手の方が相槌で(方便かもしれないけど)「すごい」と言ってくださるたびに、自分の強みはやってみたいと思う好奇心と実際に行動に移すチャレンジ精神なのかもしれないしれないと思いました。

二つ目に、自分は各出来事から何を得たのかということを上手く言語化できていないということです。これは自分のマイナスな面が出たと言えますが、何をしたということは言えてもその出来事から何を学んだかということはすっと言葉にできませんでした。多分、これまでに何かに取り組もうというときに目標や振り返りをおろそかにしていたのだと思います。これは、これからに活かす反省として胸に刻みました。

最後に、自分の中に失敗体験が残っていないということです。これはプラスなのかマイナスなのか、自分でもよくわかっていません。プラスとしてとらえるならば、失敗してもクヨクヨせずに前を向ける性格なのだと言えるでしょう。でも、失敗したときに悔しいと思えるほど真剣になったことがないともいえるかもしれません。多分、失敗したこと自体はあるのです。小学校で児童会選挙に落ちたし、中学校で漢字検定2級に落ちたし、高校の部活で目標の全国大会に行けなかった。でも、どれもすぐに自分の敗因が思いついて、「仕方がない」と思ってしまいます。もしかしたら、私は失敗体験から何も学んでいないのかもしれません。

このように20分の口頭の自分史自己紹介でも気づきを得ることができました。
今後は紙に表して、丁寧に自分を見つめなおしていこうと思います。

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