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愛の終着地点。小説「路地裏のウォンビン」を読み終えて。

「結婚相手はさ、結局、経済力だよ」
私のよく知る人が、そう吐き捨てるように言った言葉が頭の片隅にへばり付いてとれない。

働き始めて数年経ってから、なんとなく「恋愛」のあとに続く「結婚」を具体的に意識するようになった。実家を出て、自分で選んだ恋人と一緒に暮らしはじめてからは、余計に。

私は異性愛者で、ここ日本では結婚しようと思えば紙一枚で籍を入れられる。
けれど、それと同時に離婚も簡単にできるし、女であろうとも一人で生きられるようになったこの時代に、誰かと運命をともにする誓いを立てることにどんな意味があるのかと考えざるを得なかった。

そもそもアプリの検索機能を通じて理想の相手を見つけるのが当たり前になったこの時代を前に、これからの私が持てる「愛」ってなんなのだろうか。

「愛」みたいなワードを深く考えようとすると、答えのない疑問がぐるぐると脳をかき回し、そこにやってきた日常の荒波とぶつかって結局全部どうでもよくなってしまう。

そんなときに読み始めたのが、小野美由紀さん著「路地裏のウォンビン」だった。

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小野美由紀さんの存在は、小説「ピュア」を購入したことをきっかけに知り、彼女のTwitterアカウントをよく覗くようになっていた。
投稿からは、その芯の通った姿勢とざっくばらんなようで物事をたしかに見定める感覚が伝わってきて、バランスのとれた美しい人だと密かに憧れを抱くようになった。

そんな彼女が新しく描き下ろしの小説を出すと聞きつけ、調べてみると今回のジャンルは男性同士の同性愛、いわゆる「BL」だとわかった。

普段からBL作品は読むが、「ピュア」のような鮮烈な世界観を描き出す小野美由紀さんがそれを題材にするなんて、一体どんな作品になるのかと思うと胸が高なった。

購入した本を開くと、シンプルな目次に続き、どこか意味深なプロローグが流れ出す。

いいか、骨の聲(こえ)を聞け。
お前も知らないお前の聲を、
本当のお前自身の聲を。
血でもない、肉でもない、貌かたちでもない。
それだけがお前をお前であらしめるのだ。
それが、愛する者を救うただ一つの――。

骨。骨ってなんのことだろうか。
こえ、を「聲」と書くところに、喉の間から響く音以外のもっと別の意味を感じた。

小説を読み進めるにつれて、この物語の大筋が分かってくる。

両親を失くしスラム街で育ったルゥは、同じく家族と凄惨な形で死別した過去を持つウォンビンとともに互いに支え合い、掏摸稼業で身を立てて生きていた。
街で暮らす人々は皆、むせ返るような生臭い空気のなかで自らの明日を手繰り寄せるために、傷つけ合い奪い合いながら暮らしている。

そうやって過ごしているのは、ルゥも同じで、彼自身も街の者たちと同じ形に心を歪めて命を繋げてきた。

そんなとき、政府の浄化政策をきっかけに、彼は泥の中から掬いあげられるのだ。
ルゥは経済的にも精神的にも豊かな夫婦に引き取られ、住む場所をもらい、温かい食事と心地よい寝床、それに十分な教育まで与えられた。
彼はスラム街から引き離されて、誰もが願う幸せな生活を手に入れたのだ。

ウォンビンとルゥは引き離されてしまったが、読んでいた私は(ああ、良かった、これでルゥは幸せに暮らせるはず)と少し安堵する。

しかし、ルゥはウォンビンと再会を果たしたとある夜をきっかけに、またスラム街へと通うようになり、結果取り返しのつかない事態を招くこととなるのだ。

彼は義両親との暮らしを捨て、ウォンビンとともに街を去るが、新しく住み始めた街には、また新しい地獄が待っていた。

「貧しくても、お前と二人、いられればそれでいい」

ウォンビンはルゥに向けてそう言うが、劣悪な労働環境と泥底のような生活のなかで、彼らの間にできた溝はだんだんと広がっていく。

(だから、ルゥはあのときに義両親とともに暮らしていけばよかったのに)
ルゥの無謀な行動に、私はなんとなく苛立ちを覚えた。彼らの青く彩られた思いが、どうにももどかしい。
せっかく幸せな生活を手に入れたのに、どうしてわざわざ不合理な選択をするのだろうか、と。地獄から助かったルゥが、また地獄に誘われるように落ちていく姿が苦しかったのだ。

しかし、彼らの痛々しい状況とともに、著者が描き出す情景は美しく不穏で、ページをめくる手が止まらない。

彼らは次々に待ち構える運命に翻弄され、物語はその後衝撃的な結末を迎えることとなるが、そこはぜひ本を購入して彼らの行方を見届けてほしい。

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物語は、最後こうして締めくくられる。

「ウォンビン、僕の望みを叶えてくれるか」
「なんだ、ルゥ」
「幸せになれ、ウォンビン」

読了後、胸が苦しくなるくらい感動したが、不思議と涙は出なかった。
その代わりに、私はルゥの行動に苛立っていた少し前の自分のことを馬鹿だったなと、腑に落ちる感覚があった。

ああ、そうだ。本当に愛してしまったものは、その存在が骨の髄まで染み込んで、運命の形すら変えてしまう。
たとえ、二度と這い出せない沼の淵が目の前にあると知っていようと、人は愛のためにとことん愚かにでも無謀にでもなれてしまうのだ。
それがたとえ、行く先で他人に嘲られるような形でも、止まることができない。

私はそんなことすら忘れて生きてきたのかと思うと、恥ずかしくなった。

最後に綴られた二人のセリフからは、人間の愛が行き着く終着地点を感じる。

たとえ私が犠牲になろうとも、あなたにはどうか幸せであってほしい。
その笑顔の隣に寄り添うのが私でなくとも、優しい誰かがあなたをずっと守ってくれますように。
私のことなどすっかり忘れてしまってかまわない。
それでも、目に映る花の美しさだけは忘れないでいてくれることを。

そう願う人間と人間の愛を。

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2人のキャラクターについて、著者である小野さんはインタビューで次のように語っていた。

ウォンビンは野心家のように見えて、実は自己犠牲心が人一倍強いんですよね。自分のことなんてどうでもいいと思っていて、だからこそ思い切った行動に出ることも。生きていくためなら、何でもやるタイプです。
一方ルゥは、優しいように見えてエゴイスティック。自分の感情で突っ走っていくタイプです。

ルゥはウォンビンの自己犠牲的な内面に気が付きながらも、硬いベッドの上で自身のエゴの殻に閉じこもってきた。
しかし、結末となる行動は、この物語のなかで初めてルゥが導き出したウォンビンへの愛の証明だったのではないかと思うのだ。
運命が二人を分かつとしても、彼らの骨はきっとお互いの形を残して朽ちていくだろう。

性別も人種も運命もなにもかもを超えて、まっさらな人間同士が必死に向き合おうともがくこの物語は、私が気づかなければならない愛の形を少しずつ浮かび上がらせてくれるような気がした。

(了)




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