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バス停のある風景:大野田遊園地前

大野田遊園地前バス停

大野田遊園地前(おおのたゆうえんちまえ)
松本市営バス奈川・安曇線(旧奈川村営バス)
長野県松本市安曇大野田

アルピコ交通電車新島々駅からバスで3分ほど走った距離にある大野田集落。
といって、この市営バスには乗ったことはない。
新島々駅から30分くらい歩いてこの地を訪問した。
かつての安曇村の基礎となった四集落(大野田・島々・稲核・大野川)の一つで、梓川の一番下流側にある集落。
ちなみに、このずっと奥にある沢渡や上高地は大野川(大野田ではない)の一地区だった。
大野田、かつては「おおぬた」と呼ばれたという。
動物が砂浴びなどをする「ぬたば」からきているのだろうか。

遊園地と名はついているが、子供たちが滑り台などで遊ぶ小さな公園。
メリーゴーランドやジェットコースターがあるわけではない。(笑)
バス停の前は旧国道158号線。
梓川沿いに新国道ができるまでは、上高地や高山方面へのメインルートの道路だった。
前回アップした「難路注意」はこの場所から新島々方面へ100mほど行ったところにある。

旧国道158号線にまたがる「難路注意」を裏側から見る この道の突き当りが梓川

1970年、子供だった私は家族旅行で自家用車にてこの場所を通過している。記憶は全くないが。
沢渡の手前までは、ダム建設により付け替えられた新しい国道158号が当時としてはそれなりに広い道路になっていたはずで、さほどの難路ではなかったと思われる。
しかし、ダムに影響されない沢渡から先は、道狭く、走りずらい道路であったことが想像できる。
今でも旧道が残り荒廃してる様を少し見ることができる。
この「難路注意」がいつできたものか不明だが、少なくとも1970年頃の沢渡から先は間違いなく難路だったはず。

さて、大野田集落の南側に通った新国道には「大野田」というアルピコ交通バス(旧松本電鉄)のバス停がある。
集落内を通るのは市営バスのみで、広い国道を通るのは上高地や乗鞍高原方面へ向かうアルピコ交通バス。

大野田バス停 アルピコ交通バス

上記の写真の先は、新淵橋を渡って新島々駅へと続いている国道158号線。
もちろん更にその先は松本市街。

梓川左岸の河岸段丘上にある大野田集落。
特に目立ったものはないが、唯一長野県天然記念物「フジキ」が見どころだろうか。
通称「ナンジャモンジャの木」、幹周囲3.5mで高さ20mの大木。
あまり見かけない木だからナンジャモンジャというらしい。

100m先にナンジャモンジャの木

天然記念物の100m手前まで行って、見学してこなかった。(笑)
多分少々歩き疲れて面倒くさくなったのかもしれない。
また来ればいいくらいに思ったのかもしれない。
たまにそういうことがある。
疲労感が勝り、また今度来ようとその時は思うが、結局はそれっきりになることが多い。
それが老化だ(笑)

大野田集落を訪れたのはストリートビューで「難路注意」を発見したからだった。
1970年、自分はこの「難路注意」の下を通ったことがあるはずだと思ったので、何となく見に行って写真に収めたくなった。
1970年、新淵橋も古い橋であったはずだし、電車も新島々と大野田の中間にある前淵集落の場所にあった島々駅まで走っていた。
島々駅では、1970年当時の記憶が唯一ある。
駅舎脇の建物が朽ちかけて床がたわんでボロボロになっていたという記憶がある。
ボロボロというのが脳裏に焼き付き、ずっと覚えていたのだろう。
おそらく、上高地方面へバスで向かう人たちのための待合室ではなかったのかと想像する。
だが、1970年当時の上高地方面行きのバスは、すでに新島々駅を起点として発着していたので、島々駅は乗降客はまばらで待合室など不要になって放置されていたのだろう。

記憶はほとんど残っていない場所でも、かつて来た場所、通った場所というのは、愛着?いや、何と言っていいかわからないが、その地を訪れると感慨みたいなものがこみ上げてきたりする。
今はなき島々駅、大野田の難路注意。
他人にとってはどうでもいいことだが、訪ねてみてよかったと思う。

1970年当時の島々駅 右手の建物の中もボロボロだった記憶が残っている。駅前は旧国道158号線
現在の国道はこの駅舎裏のホームがあった場所を通っている(再掲)
前淵バス停 道路は国道158号線 この辺りが島々駅構内だった


※大野田集落内は2017年6月撮影
※前淵バス停は2012年9月撮影