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バス停のある風景:甘酒茶屋

箱根旧街道(旧東海道)沿いにある甘酒茶屋。(神奈川県足柄下郡箱根町畑宿)
江戸時代の箱根旧街道東坂(箱根湯本→箱根峠)には、9ヵ所13軒の甘酒小屋があったと言う。その一つが現代まで続いているタイトル画像の甘酒茶屋。
店の前を通る県道の下に旧東海道が埋まっていている。
茶屋裏を通る石畳の道は昭和に整備された散策路で旧東海道ではない。

甘酒茶屋に立ち寄る度に注文するいそべと甘酒
冬の日、旧街道を散策しながらたどり着いて飲む甘酒は格別。
身体も気持ちもほっと温まる。
麹のみで作られた甘酒。
甘すぎないのがいい。

冷えたからだにホッとする甘酒

赤穂浪士神崎与五郎が、馬子に因縁をつけられ詫び証文を甘酒茶屋で書かされたという話は創作。
現実には大高源吾が三島宿で書かされたということらしい。が、存在する大高の詫び証文も後世の偽作との説も。

甘酒茶屋から旧東海道を小田原宿方面に少し下ったところが猿滑坂
急坂過ぎて猿も滑るほどということらしいが。
江戸期の地図には猿返しなどと書かれているようだ。
甘酒茶屋の箱根宿側には白水坂というのがあって、これが実は城見ずで、秀吉が小田原攻めの際に小田原城を見ずに引き返した場所と言う話がある。
勝手な推測だが引き返したのはその場所ではなく、笈ノ平と呼ばれる甘酒茶屋のある平地までは来て、あまりにも急な猿滑坂を目の当たりにし引き返したのではないかという推測。
で、猿滑坂猿返しの猿って秀吉のことじゃないのかっていう推測(笑)
じゃあ、白水の地名はというと、これも勝手な推測だが、硫黄を含んだ水が湧き出ていたのではと。硫黄泉のもと硫化水素を含んだ湯や水は酸化すると白濁化するので、白い水が流れていたのではと。

箱根旧街道は東坂も西坂(箱根峠ー三島宿)も石畳の残る(一部復元)江戸時代を彷彿させてくれる素敵な旧街道。
ともに、並行してバスがあるので、いざというときには心強い、ハイキング路ともいえそう。

画像は2012年撮影