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戦争が残したもの…京急武山線の遺構

写真は、鉄道の橋台。
昭和16年の開戦間近のころ、神奈川県横須賀市武山村に海軍の海兵団(武山海兵団)が設置された。
その兵員輸送のために現JR横須賀線衣笠駅付近より分岐して海兵団のある三浦半島西部地区の林までを結ぶ京急(当初東急)武山線の建設が開始された。
しかし、建設途中で終戦を迎え建設は中止になった。

いわゆる未成線と呼ばれるもので、1970年代まではその遺構が一部残っていた。
私自身が記憶する遺構は、京急バス「武山」バス停の背後に築堤があったこと、同じく「一騎塚」バス停近く2か所に橋台が残っていた。
タイトル画像は一騎塚バス停近くの橋台。
横須賀中央と三崎を結ぶ県道26号線にあるトンネルも武山線の遺構だったという。

戦争が終わってしまえば、当時は民家も少なく鉄道を敷設したとしても、とても採算の合う路線ではないので、再び建設されることはなかった。
しかし、現在、三浦半島西部地区の人口は増え、武山線と並行する県道26号の渋滞は日常茶飯事となり、多くの人が鉄道があったら暮らしやすかったと思う状況になってしまった。

京急はもともと三浦半島を一周するような鉄道路線の計画を持っていて、一部免許も持っていた。
武山線も計画の一部であったが、とても採算があわないため消滅した。
それが戦争によって軍部の命により計画の一部が復活し、工事が始まったが、結局は終戦で再び消滅してしまったのであった。

今、ネットで武山線の遺構の画像を探しても、ほとんど出てこない。
京急自身が所持している、タイトル画像と同じものと思われる橋台の画像だけが出てくる。

国土地理院の年代別の航空写真には武山バス停背後の築堤が明確に写っている。
その築堤の形からして、列車交換のできる駅が建設される予定であったと思われる。

タイトル画像は私が小学生の時(1970年代)の自由研究で撮影したもので、京急武山線のことを知って、もう少し戦争が長引いていたら武山線ができて列車が走っていたんだろうなと、残念に思った記憶がある。
そう、ガキでバカだから、戦争が早く終わるよりも列車が走る方に興味があったのだ。
頭はお花畑だった。(笑)
当時、武山地区に来ると、自衛隊員が列を組んで歩行している姿が当たり前の風景であり、射撃練習場の射撃音が山に響いていたりするのが日常茶飯事だった。
同級生のお父さんが自衛官というのも多かった。
遠足が戦時中の砲台が残る砲台山だったりした。
そのころは近所に防空壕もあり、遊び場の一つでもあった。

武山海兵団は、いま自衛隊武山駐屯地となっている。

戦争はもういらない。