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上高地1970 ⑸

 上高地トンネルを抜けて少々進めば正面に大正池と穂高連峰。その偉容を見て心を動かさない人はまずいないだろう。
 現代と、1970年の穂高連峰の比較。緑に覆われている部分が多少違うだろうけれど、半世紀たってもそう変るもではないだろう。

大正池と穂高連峰 1970年
大正池と穂高連峰 2016年

 1970年時は、マイカー規制はなく、上高地バスターミナルにある駐車場までマイカーで入ることができた。下記の写真はバスターミナルでバスと一般車が一緒に写り込んでいる。

上高地バスターミナル 1970年
上高地バスターミナル 2009年

 その後、マイカー規制は繁忙期のみ規制され、やがて通年規制されるようになって今に至っている。
 前述したように、長野県側からは沢渡からのシャトルバス利用となる。

 私達は駐車場に車を止め、田代橋あたりから河童橋のあたりを散策したようだった。

田代橋 1970年
田代橋から梓川上流方面 1970年
建物は清水屋ホテル
田代橋から梓川上流を望む 2005年
田代橋から焼岳を望む 1970年
梓川畔からの穂高連峰 1970年
河童橋(3代目)と穂高連峰 1970年
河童橋(5代目)と穂高連峰 2019年

 1970年時の河童橋は第3代目、現在の橋は第5代目。

 これ以上当時のことを書くネタはない。何しろ、私自身の記憶がほとんど残っていないから。
 白骨の川の音、島々駅のぼろい待合所。これしか記憶にない(笑)
 そういえば、夏休みの宿題として上高地の絵を描いて学校へ持っていった。題材は穂高でも、河童橋でも、大正池でもない。描いたのはなぜか釜ヶ淵堰堤。その理由は謎。結局、先生に提出したら「これどっちが上?」と聞かれる始末のよくわからない絵の出来だった(笑)

 1970年の夏に家族旅行で訪れた上高地、これから約20年後、私は再び上高地を訪れた。そして、毎年一度は上高地を訪問することがノルマのようになって30年がたった。
 しかし、一昨年のコロナ禍で毎年訪問は途切れてしまった。今年こそはと思っていたが、ここにきて爆発的に感染拡大。いつになったら、何も気にせずに旅ができるようになるのだろうか。収束には程遠い状況が続いているのがとても残念だ。

おわり