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「へべれけ」=「ヘベのお酌」説の真相を追う!

このたび、わけあってプラトンの『饗宴』を読み返しました。「読み返した」と言いましたが、実は、日本語できちんと読んだのは、たぶんはじめてです。大学の一回生のとき(関西の大学では「年生」のことを「回生」と言うのであった...)、クラス授業の英語の講読が『饗宴』だったんです。だから英語で読んだ。日本語で書かれた解説書とかも読みましたが(田中美知太郎著『プラトン「饗宴」への招待』とか)、『饗宴』を日本語訳でべったり読んだことは、これまでなかったんだと思います。

『饗宴』は、ソクラテスを含む何人かの参加者が、ほとんどしらふで、エロースを讃えるスピーチを順番に披露するという枠組みになっています。ええ、ほぼしらふでやるんです。昨夜もたらふく飲んだから、もう今日は飲むのはやめておこう、という設定です。で、そのシンポジウムの終盤になって、自他ともに認める美青年のアルキビアデスが、酔っぱらって会場に乱入してくるんですよ。

(ちなみに、この記事のトップに掲げた画像は、バチカンにあるラファエロのフレスコ画『アテネの学堂』の一部分です。ビジュアル最強のアルキビアデスと、ビジュアルは問題にしてもはじまらないソクラテスが、向き合うように描かれています。)

で、わたしがこのたび読んだ京都大学学術出版会西洋古典叢書のプラトン『饗宴/パイドン』朴一功訳では、アルキビアデスの酔っ払いっぷりを表現するのに、「へべれけ」という言葉が使われていたんです。

そこでわたしは、ハタと思い出しました。かつて「へべれけ」という言葉の由来を調べたことがあったな、と。そもそもの発端は、ある友人が、「へべれけという言葉は、ヘベのお酌というギリシャ語に由来するという説があるんだけど、それって本当かしら?」と言ってきたことです。わたしはそんな説は知らなかったので、ちょっと驚きました。へべれけなんて、いかにも擬態語じゃないのかな? とも思いました。しかし、もしもそれが本当なら面白いよね、と興味を引かれたのです。

で、ウェブでちょっと調べてみれば、「へべれけ」は「ヘベリュケ」というギリシャ語に由来するという説が出てくるでしょう。「ヘベ」は、ギリシア神話に出てくる青春の女神で(音引きを省略しなければ「へーべー」)、神々の飲み物である「ネクタル」を注ぐのをお仕事にしています。若く美しい女神にお酌されて、酔っぱらっちゃうというわけですね。

しかし、たしかにその説は出てくるのですが、ヒットしたサイトの記述はどれもこれも孫引きや伝聞ばかりで、きちんとした資料を挙げているところがひとつもなかったのです。うーん、これは怪しいな、と思ったわたしは、当時参加していたラテン語のグループで、この件について質問してみました。すると、語学堪能なあるメンバーの方が、ギリシャ語のHebeerryke のうちの erryke は reo の現在完了直説法能動3人称単数で「Very rarely , trans. let flow ,pour」ということだから、「へーベーは酒を注ぎ終えている (その結果、きみは酔っ払っている)」ということになって、意味はひとまず通りそうだけれども、英語はもちろん、ポルトガル語、オランダ語、ドイツ語、フランス語でも、へーべーと泥酔とを結びつけるような表現はみつからなかった、との情報をくださいました。

また、古典語(ギリシャ語とラテン語)の先生からは、日本におけるギリシャ語教育の歴史から考えて、「へべれけ」という言葉の初出が昭和初期だとしても、「へべのお酌」説は怪しくなるだろうとのご指摘をいただきました。たしかに、「へべれけ」なんていう表現は古典落語とかにも出てきそうです。だとすれば、まずは、この言葉の初出の年代を調べてみるのがよさそうです。

そこで青森県立図書館に行って、できる範囲で調べてみました。いろいろあったなかで、

へべれけ ひどく酒に酔って正体のない状態。
     また、そのさま。
     怪化百物語(1875)<高畠藍泉>上
     「前後忘却<ヘベレケ>になった
     のをさ」
     落語お若伊之助(1897)<三代目春問亭柳枝>
     「嬉し紛れにへべれけによって仕舞ひました」

小学館 日本国語大辞典第二版


というのが、わたしの見つけたなかでもっとも古い用例でした。1875年(明治11年)です。つまり、この段階ですでに、「へべのお酌」説は怪しいということになります。

また、角川外来語辞典には次のような記述がありました。

     ヘベレケ Hebe-erryke 酒にひどく酔ったようす
     「=Hebeのお酌という意味(木村鷹太郎氏説)
      へべれけに酔うという語は、ヘベのお酌で酔う、
      と考えると、よく意味がわかるが、このほかに
      へべれけの意味を詳しく説明した本はないようだ」
      山中襄太「英和語源辞典」1956

角川外来語事典第二版 あらかわそおべえ著


つまり、「英和語源辞典」によると、木村鷹太郎なる人物の「説」以外 に、「へべれけ=ヘベのお酌」とするものは見当たらないらしい。どうやら「へべれけ=ヘベのお酌」説の出所は、木村鷹太郎という人だと見てよさそうですね。では、その木村鷹太郎氏は何者なのでしょうか?

少し調べてみたところ、なんと、知る人ぞ知る「ト」系の人らしいことがわかったんです! 木村氏は、次のような、あっと驚く主張をしている。

●邪馬台国は古代エジプトにあった。魏の船団は古代ケルト地方から出発した。

●ホメロスの『オデュッセイア』は『平家物語』や『太平記』を元に書かれたものである。

●日本神話の本牟知別命(ほむちわけのみこと)は桃太郎であり、ムハンマドである。またこの伝説がイギリスに伝わってシェークスピアの『ハムレット』になった。

●ソクラテス(前470頃-前399)は日蓮(1222-82)で、プラトン(前427?-前347?)は日昭(1221-1323、日蓮の高弟)である。

●西郷隆盛(1827-77)は自刃せずベトナムへ脱出した。サイゴン(現・ホーチミン)は西郷の名が転訛したものである。

●大阪の「なにわ」はシャトルアラブ川(ティグリス川とユーフラテス川が合流し、ペルシア湾に注ぐ川)の河口にある都市マホメラーと同一の語源である。

●歌舞伎の「助六」とシシリー(シチリア)は同語源で、イタリアのシシリアンは江戸の町奴だった。


あはははは……いや、ちょっと、ついていけないんですけど(笑)。ソクラテスは日蓮、プラトンは日昭ですと?! これはもう、明らかにトンデモ。だとすれば、歴史的名著である『トンデモ本の世界』(と学会編 洋泉社)に載っていないはずがない! と思ったわたしは、さっそくめくってみました。すると、ありました。木村鷹太郎は、トンデモ歴史・言語学の元祖的存在だったのです。 

(今、『トンデモ本の世界』を歴史的名著と書きましたが、この本は、似非科学(科学だけではありませんが)批判を、堅苦しく大真面目にやるのではなく、笑いのまな板に載せて料理するという新機軸を打ち出した画期的な仕事だとわたしは思っています。)

その『トンデモ本の世界』から引用しておきましょう。

トンデモ歴史学のルーツが、初めからいかに笑えるものであったかを示すため、内容の一部を紹介しよう。木村鷹太郎は日本語と古代ギリ シャ語は同一起源であると主張し、その証拠にギリシャ語、ラテン 語、さらに英語、ドイツ語などと日本語は共通点が多いとする。ギリ シャ語などわからないので、英語の部分だけを少々書き写す。

夕べ――Eve(イブ)
ダメ――Damage
君(キミ)――King
どろ――Dross
籠(カゴ――ケージ)――Cage
ナムボ(幾何、何程)――Number
潮――Sea
骨――Bone(ボネ)
ソロリ――Slowly
身――Me
百合――Lily

英単語の駄洒落暗記法としか思えないが、著者は大まじめだったのである。

『トンデモ本の世界』


英単語のダジャレ暗記法!(笑) 

ともあれ、「へべれけ=ヘベのお酌」説のルーツは、木村鷹太郎のトンデモ歴史・言語学だったとみてよさそうです。木村鷹太郎の諸説のうち、あまりにも突拍子もないものは誰にも相手にされずに消滅したが、「へべれけ=へべのお酌」説は、ほどほどに怪しげだったので生き延びた、ということでしょうか。

今、「消滅した」と書きましたが、木村鷹太郎の影響は、昔ののんきな珍説として笑ってばかりもいられないようです。『トンデモ本の世界』から該当箇所を引用しますと、

 (木村の説は)なんとも脳天気な主張であって、さすがは明治時代と思われるかもしれないが、 現代でも『竹内文書』などを根拠にして日本人は古代世界の支配者だったという主張がなされており、 信じている人も多いのだから、あまり馬鹿にもできない。というより木村の研究こそが、 その後の日ユ同祖論や、古史古伝に強い影響を与えているのである。

『トンデモ本の世界』

「へべれけ」を調べるうちに、トンデモ歴史学の扉を開くことになろうとは、予想もしなかった展開といえましょう。

しかし、県立図書館での調査の成果はこれだけでなく、もうひとつ、小さいながらもたしかな収穫がありました。落合直文著『言泉』です。落合氏は明治に生きた歌人にして国語学者、辞書の編纂にあたった人物で、与謝野鉄幹の先生でもあります。

なにせこの「言泉」、落合氏が完成させたのが明治31年ですから、漢字もかなも難しくて大変なんです…..。しかし、その時代の言葉のようすを知るにはうってつけと言えましょう。

で、その『言泉』の記述です。

・へべのれけ→へべれけに同じ
・へべれけ[貌] 本心を失ふ程に酒に酔うさま。とろっぺき。俚語。

『言泉』

最後の「俚語」というのは、俗間に用いられる言葉、方言の語彙、現代の標準語や古典語に音声的に対応していない、訛った言葉のことだそうです。

で、わたしが注目したのは、へべれけにつけられた、[貌]という品詞です、『言泉』の「凡例」をみると、さまざまな 品詞が挙げてあり、他はすべてわたしも知っていたのですが、 この[貌]=「貌詞」 だけわかりませんでした。他の文法辞典のようなものをめくり、近代日本語の文法学 の進展、とくに品詞立ての経緯などをナナメ読みしても、この言葉は出てきませんでした。長期にわたり安定的に使用されてきた用語ではないのでしょう。でも、とにかく、漢字の意味からして、擬態語ではないかとの想像はつきました。ためしに『言泉』で「くねくね」を引いてみたところ、やはり[貌]と書いてあったので、擬態語と見てよいでしょう。

というわけで、『言泉』に信頼を置くならば、へべれけは俚語であり、品詞的には擬態語ということになります。やっぱりそうか、と思うのはわたしだけではないでしょう。「へべれけ」の素性として面白みはないけれど、まっとうな結論といえるのではないでしょうか。

まあ、一般に、語源バナシは、眉につばして聞いたほうがよさそうですね。

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