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アウグスティヌスの濡れ衣を晴らす!「神は天地創造の前は何をしていたか」

アウグスティヌスが言ったこととして紹介されるフレーズが、もうひとつ(時間に関するもののほかに、もうひとつ)あります。「神は天地創造の前に何をしていたのか?」という問いに対し、アウグスティヌスは、「そんな質問をする者のために、神は地獄を用意していたのである」と答えた、というのがそれです。

そんなエピソードを読まされた人は、「アウグスティヌス、感じ悪い!」と思ったかもしれません。自分には答えられない問いを、脅しで封殺するようなヤツなのね、と思ったことでしょう。最低でも、真剣な質問をふざけた返答でかわす、ゲスな教師のように思えるのではないでしょうか。

しかし、これは完全な濡れ衣なのです。にもかかわらず、みんな又聞き・孫引きで、このエピソードを紹介するんですよ….。スティーヴン・ホーキングのようなベストセラー作家も取り上げているぐらいですから、世界中でかなりの人たちが、「アウグスティヌスって、知的に不誠実なやつ」という印象を持っているかもしれません。

でも、これほどアウグスティヌスが言いそうもないセリフもないんですよ。実際、彼は『告白』の中の二か所で、「神は地獄を….」的な返答をする人を、徹底的に批判しているのです。(そういうことを言う人たちが、現にいたんです。)

アウグスティヌスの批判の論点は、せんじ詰めればふたつだと思います。

1 事実関係として(アウグスティヌスが理解する事実として)、天地創造以前に時間はないから。「その前に、何をしていたか」というときの、「その前」がないんです。

2 もうひとつは、こういう大きな問題に向き合うときのスタンスです。アウグスティヌスは、重要かつ深い問題に向き合うことを回避しようとして、「そういう深い神秘を究明しようとする者のために、神は地獄を準備していた」と答えた者がいたようだが、自分はそういう答えをしようとは思わない、ときっぱり述べます。そして、洞察することと、笑うこととは別である(Aliud est videre, aliud ridere)、と述べたうえで、もう一度繰り返して、わたしはそういう答えをしない(haec non respondeo)と述べているのです。

わたしがここで重要だと思うのは、このふたつめの論点です。アウグスティヌスは『告白』の全体を通して、バリエーションを加えながら、繰り返し神に訴えます。今風の言い回しにすると、本質的には、こんな感じでしょうか。

わたしがあなた(神)に告白するのは、あなたに情報を提供するためではありません。なぜならあなたはすべてをご存じだからです。わたしがあなたに告白するのは、あなたがわたしに対し、あなたを讃えることをお望みだからです。あなたは知恵にほかなりません。わたしが知恵に近づくのを、どうかお導きください。わたしを知恵に至らせたまえ。

これに類したことを繰り返し述べながら、彼は一歩一歩、懸命に考察を進める。真実の知恵に近づこうとする。その気迫にわたしは圧倒されました。アウグスティヌスが到達した結論に賛成するとかしないとか、キリスト教会というものが好きだとか嫌いだとかとは別の次元として、知恵を求めるこの人の気迫、知的誠実さに、わたしは感銘を受けずにはいられないのです。だから、濡れ衣を晴らしたい! アウグスティヌスは、「深い神秘を探求しようとする者のために、神は地獄を用意していた」なんて言ってません!、と。

というわけで、教訓です。お互い、何か引用するときは、また聞き・孫引きでごまかすのではなく、ひと手間かけて裏取りしましょうね!!(笑)


なお、この記事の冒頭に掲げた図は、カルタゴでも暮らしたことのあるアウグスティヌスの時代に、カルタゴのビュルサの丘(知る人ぞ知るディドー伝説の地)の邸宅を飾っていたモザイクです。アモルとプシュケの図です。異教的な意匠にハッとしますね。まさにそういう時代だったのですね。また、ゲルマン民族が北アフリカにも押し寄せていました。ヴァンダル人がヒッポで(アウグスティヌスが司教を務めていたヒッポで)ローマ軍を破ったその年に、崩れ行くローマを見ながら、アウグスティヌスは亡くなりました。彼が生きた時代の雰囲気が感じられればと思い、このモザイクを掲げました。










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