我が家にある物達と孫の繋がり
日々の思いつきをしたためてみる。
自分の日常(当然、あたりまえ)は、
実は…。
大きな平籔(ざる)2枚と梅酒瓶🫙
大きな平籔達は、
冷蔵庫の上でスタンバイしている。
梅の実が実る頃、
彼等は活躍してくれる。
梅干し造り、孫達の食育にもなる。
ツレに感謝である。
もう一つ、
こちらは長丁場な食育。
孫達の生まれ年の梅で、
梅酒を漬けてくれている。
20年後、成人したら、
生まれ年の梅酒20年もので乾杯したい。
こちらも、
ツレに感謝である。
七輪と炭コンロ達🔥
今は回数が減ったが、
事ある毎に、庭先焼き肉をしていた。
家には、七輪、炭コンロ小&大がある。
近隣の洗濯物を気にしつつ、
取り込む時間⏰過ぎ頃から火を起こす。
この時期なら、
秋刀魚を七輪で焼く。なんと美味いことか。
庭先焼き肉は、何が好いかと言うと、
帰らなくていい! ←コレにつきる。
呑む機会が減った。
子達が育ち、巣立っていった。
色々な理由から、登場機会が減ったが、
孫①の家には炭コンロが備わった様子。
英才教育の賜物と考えている。
孫達がもう少し大きくなったら、
庭先焼き肉の頻度も増えるだろう。
それまでは、暫しお休み炭コンロ達。
仏壇🕯️
我が家には、小ぶりながらも仏壇がある。
50年弱あり続けている。
孫達が来る時、
先ずは仏壇に御挨拶してくれている。
今のところ、意味は理解出来て無いだろうが、
いずれ、
そこには誰が居て、何で手を合わせてるか、
理解が出来たら、
孫⇄子⇄親の関係性も理解するのだろう。
苗字の違い、
一世代前で、2つの苗字、
二世代前になると、4つの苗字、
手を合わせる思いも深くなってゆくと思う。
今のところ、
私の父(五十余年居住)、母(二十余年居住)
のみだが、いずれは我が身。
障子と襖
孫①の家には無い。
私自身が子供の頃、
障子と襖の区別がつかない時期があった。
役割(間を伏す)を理解して、区別出来た。
孫①は以前、
和室で遊んでいて障子を破いてしまい、
大泣きしてしまった事があった。
子供心に、
悪い事をしてしまったと
自らを責めたのであろう。
もう直ぐ師走。
大掃除の際には、孫①を呼んで、
障子を盛大に破いて貰おう。
普段できない事、やって貰おう。
そして、
障子の張り替えを観せてあげよう。
我が家のアルバムには、
二十余年前、障子の穴から顔を出して、
満面の笑みを見せる我が子達の写真。
時がうつり、同じ事を…。
結び
還暦世代で、
首都圏近郊に住んでいる者の一例。
「当然あるよ」
「うちには無いな」色々あると思う。
自身の子供の頃には有って、
今無くなってしまった物達。
考えてみても面白い。
今、当然の様にそこにある物が、
実は(よそから見れば)珍しいものかも?
その他の例
固定電話、新聞、💿付きHDレコーダー 等
この先、
もうこれ以上は、物は増やさない。
片付けしてかなきゃ…。