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全てを読むとしたら誰を選ぶか?

読書についての小林秀雄の言説の中の、自分にぴったりと感じた作家の全てを読めという一文がこのところぼくの読書を迷わせている。つまり、この影響力の支配下に入ったわけだ。最初に選んだのは、サラリーマンの経験がある小説家、黒井千次だった。確かにサラリーマン時代の経験を小説にできていてその作品を読むとリアルな追体験ができて面白かったし、小説を書くとしたら勉強になることもあった。まだ現役で最近のエッセイには、老いをテーマにしたものがありそれも読んでみたが、当たり前だが年相応の事しか書かれていなかった。作家としての老いの進行というか進化というか、文学的な深まりは感じなかった。そういう点では大江健三郎は作家としての仕事をやり抜いていて偉大だと思う。だとすれば大江健三郎の全集を選ぶべきなのかというと、自分には偉大すぎてピッタリという感じではないのだ。黒井千次でも大江健三郎でもないとしたら誰かと考えているうちに面倒くさくなって、どんな本でもその時読みたいと思った小説やエッセイや学術書を読めばいいとなって、読書に筋を通したいというこだわりは、その他のこだわりと同じように頓挫してしまった。ただどんな本の中にも自分の感受性に響くものを探したいという、本能みたいなものは信じたいと思っている。

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