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腹痛とミクシィ Vol.27

潰瘍性大腸炎で入院した20年前のことを当時ミクシィに書いていました。
退院して実家に帰省しました。


実家に帰った。

静養といっても咳が出るだけで寝たきりじゃないといけないわけではないので、毎日近くを散歩したり同じ日に入院した爺ちゃんの病院にお見舞いに行ったりした。

爺ちゃんは隣の町の大きい病院、そして偶然にも俺と同じ6Fに入院していた。まさか部屋番号も!と思ったがそんなドラマみたいなことはなかった。爺ちゃんは喉をコッヘルで穴を開けられていたので声は出せない。しかし俺の顔を見ると笑ってくれた。気づいてくれたようだ。「俺は退院したから次は爺ちゃんの番ね。」と耳元で大きな声で言ってみた。が理解しているかはわからない。

朝8時には起きて夜は23時には寝るという、超健康的な生活を送ったため体力的にはみるみるは回復していった。
しかしなぜか咳の数が日に日に増えていく。

酷い時は「おは・ゴホッ・よう」ぐらいの感じで咳が出るのだが
親に心配かけたくないので「おはよう・・・」とできるだけ言葉を発した後は咳をこらえて息を止めていた。

でも結局ばれた。
予定では2週間ほど静養するつもりが咳のことを医者に診てもらった方が良いとのことで10日ぐらいで職場のある街へ場所へ戻った。

まさかまた入院なんだろうか。


 地元を離れた後ろめたさものはいつまでも消えないもので、今回は体調を崩して帰省しているため、誰も思っていないにしろなんとなく申し訳ない気持ちになってしまったことを覚えています。両親は働いているためずっと一緒にいるわけではなく、夜に一緒に食事をするくらいでした。親が休みの日は家のことを手伝ったりしたのですが咳が日に日にひどくなっていきました。
 両親としては1日でも長くいて欲しいと望んでいるだろうと勝手に思っていました。それだけに、早く職場のある街へ帰って病院で診てもらいなさいという発言は自分の中ではかなり意外に感じました。この意外な感情は結構鮮明に覚えています。自分の考えや思いとずれた結果こそ思い出に残ります。そして、それだけ咳がひどかったんだと今になってわかります。

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