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閉鎖病棟の実態について3

当時、10時から16時までの間だけホールに出ることを許可されていたと思います。大好きだった音楽を聴きたくて仕方ありませんでした。
そうすると若い男性が「俺のiPod使う?」と訊くのです。この時代になぜiPod?と思いました。
しかし久しぶりに聴く音楽はとても耳に心地よく、そしてなぜだかスタッフが来ると彼は怯えたように取り返そうとして何故だか私も罪悪感を覚えました。見つかったらとても”怒られる”という感じがしたのです。

毎日着替えを持ってスタッフが来ました。まずはピンクの時代遅れな靴下です。靴下は家にいるとき履かないので要らない、と私は言いました。
次に老人ホームで出てきそうな大きな白いパンツとシャツ(肌着)でした。そんな老人のようなものは着たくないし、常にブラジャーをつけていないと不快だった私にはそれを取り上げられた生活が拷問のようでした。どうして男女共同生活の場でブラジャーをつけることが許されないのでしょうか。
「ここは女性の方が不利なんだよね」と若い男性患者が言っていました。確かに男性は髭を剃っている人や時計をしている人が多かったです。
しかし拒否しても拒否しても毎日それらの着替えは部屋に届けられました。それを部屋の入り口に放置することの繰り返しでした。
パジャマのような入院着もとても人前では着られない、古臭い、馬鹿にしたデザインのように感じられました。
「どうせ何も分からないから」という病院側の意図を表しているかのようでした。
そして寝ている間に注射されたのか、注射の後に貼るシールを気づかぬ間に身体のどこかに張られていることもわかりました。
もちろん薬は何の薬なのかも説明されず、注射も何のための注射なのか説明はありません。ただ大人しく従っていろ、というような高圧的な態度で接してくるスタッフ。意味もなさそうな消毒や掃除を行う清掃スタッフ。医者らしいことは何も喋らない、そしてここの人たちはほとんど誰も患者に対して敬語を使うことはありませんでした。
すべてが架空の、何かの目的のために無理矢理何かを演じているかのように感じられるのです。

そんな生活の中で私の人懐っこかった性格やよく笑う癖、すぐに甘えるような人格は全て破壊されていきました。
「言っても無駄」
自由をほんの少しでも勝ち取るには、それでも言い続けるしかないのです。
戦いの連続の中で私の性格は荒廃していきました。
「どうせ○○なくせに!!!!」というのが口癖になってきました。

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