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閉鎖病棟の実態について4

週2回しか医師が回診に来ないことも最初は教えてもらえませんでした。また、ソーシャルワーカーの人を紹介されましたが、忙しいと言って呼んではくれません。
何を訴えても、「医師の指示がないとできないから」と言われるだけでした。
ようやく1時間限定で使える許可を得た携帯では緊急連絡先に指定してあったホストの番号にかけることしかできず、暗記していた実家の電話番号にかけると親が出ました。退院したいと言う私に、「今は心と身体をゆっくり休めて」としか言わずどのような環境にいるかなどは聞いてももらえません。妹に代わってもらいましたが同じことしか言いませんでした。この頃にはすでに幻聴幻覚などはなくなり、唐突に突きつけられた現実世界とのギャップに苦しんでいる時期でした。
誰も私の話をまともに取り合ってもくれないのです。こういうとき、どうすればいいのでしょうか。

ある日スタッフが来て再度携帯電話等の取り扱いについて同意書への署名を求められました。
同時に人権センターや心の相談センターなどを紹介されましたが、「どうせ大した使えないと思うけど」と言われながら説明されました。
そして電話は公衆電話も使わせてもらえず、ナースステーションの電話を借りるようにと告げられました。
スタッフの監視下での電話、しかも土日や17時以降は人権センターなども対応してくれません。また深い絶望をおぼえました。

そんな中、新しく入ってきた男性患者が四六時中「すいませーん!」と叫び続けていました。
やがてその男性はおむつと尿瓶を用意され、身体拘束用のベッドと取り替えられ、二度と会うことはありませんでした。
それは私たちにとって恐怖でした。逆らうとこういうふうになるという見せしめのようにも感じられました。
入浴はスタッフの監視下でした。ゆっくり湯船に浸かる暇もなく、鬱病で髪を洗えなくても理解は示されません。ここは精神科病棟のはずなのに。
また、老人のようなパンツを履くのは嫌だと訴えると「じゃあ紙パンツ履く?」と当たり前のように言われました。紙パンツってオムツです。
どうしてこのような扱いを受けなければいけないのでしょうか。

出てくる食事はいつも冷めてぬるい温度でした。くたくたの野菜が少し。私はこの生活でずっと過敏性腸症候群で下痢だったのに便秘になりました。
それは薬のせいだと思い、薬を口に含んでこっそりトイレに捨てていたこともあります。カランカランと音を立ててそれは転がり落ちていきました。
それでも食事しか楽しみはなく、間食も許可されていない私はご飯の大盛りをお願いしました。
食事の時間は朝8時、昼11時半、夕食が17時半。どうしても昼食後にお腹が減るのです。どうしてだか、私たちに配膳された後で「お食事の時間です。お部屋でお待ちください」という放送が空虚に流れていました。
入浴に行くときに他の病棟を通る限り、精神疾患の患者以外は認知症の老人しかいないようでした。その放送が一体誰のためにされているのか私には分かりませんでした。
中にはOTに出かけていく患者もいました。が、何をしているのかは全く分からず、私にその打診がされることもありませんでした。
また、ここの食事のせいかストレスのせいか初めて便秘になりました。切れ痔になった際、傷口を確認しなければいけないと言われ四つん這いにされた挙句ワセリンを塗るという処置しかされませんでした。
腹痛を訴えたときも風邪の症状を訴えたときも処置という処置も診察もされていません。ここは冷房がガンガンで湿度が常に43%くらいしかなく、患者はマスクもせず咳き込んでいる人や叫んでる人がいていつコロナや風邪に罹ってもおかしくありませんでした。
入院の際にPCR検査と予防接種があるのみです。
「コロナになっても仕方ないか。あ、俺らもやばいのか」と言っていたのを聞きました。
感染症対策と言ってもほとんど行われておらず、1日1度清掃スタッフがハイター入りの水で適度に辺りを拭くだけです。

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