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閉鎖病棟の実態7

そんな暮らしの中で、悪夢はどんどん悪化していきました。今置かれている状況が夢に現れるようになったのです。朝方何度も目が覚め、鼻水や咳、痰が絡むなどの症状も出始めました。
でもスタッフは相変わらず「医師の指示がないと何もできないから」の一点張りです。その日は土日を挟んでいて、次に医師が回診に来るのは月曜日でした。
どんどん悪化していく体調の中で鼻血が出たり、そして友達も仕事以外のほとんどの時間を私に費やしてくれました。
全員病院の奴らと同じ口調(地元弁なのもあるかも)だからと信じられない私に、動画や写真を送ってくれました。
この人だけは何があっても信じよう、と決めた私でしたが、担当ホストも電話すると対応してくれたりいろいろ心配してくれて過去に起こったことと妄想の区別をつけるのを手伝ってくれました。
それでも現実は敵ばかり。
眠れもせず疲れてきた私に毒両親は「別人だと思うのが病気だ」「もう少し入院しててください」などとメールを送ってきました。
正直この人たちに何を話してもわかってもらえないし、取り合ってももらえないと思い始めていました。事実、親と関わると体調が悪化したり興奮状態になるなど「どうしてそんなにイライラしてるの?」と呆けた顔で主治医に聞かれたこともあります。
そしてまた夜が来て携帯を返却して眠れない朝を迎えるのです。

ご飯にすら興味が持てなくなっていました。美味しくもない冷めたご飯。それでも出されたもので腹を満たそうと嫌いな鶏皮も完食しました。
そういえば特別室に入っていた患者の1人は一食にふりかけを二袋ももらっていました。仲良くなったふりをすると少しだけ分けてくれましたが、結局は親の面会頻度や実家の太さによるところが大きいのでしょう。
その頃には人の残したおかずやデザートを食べることに何の抵抗もありませんでしたし、本当に食事しか楽しみがないのです。
それでも食事の時間やメニューさえ自由にはなりません。一人暮らしが長く料理好きだった私には自分で食べるものを選べないのはなかなかの苦痛でした。
外の世界といっても院内ですが、下の階に降りられるのは検査の時だけ、病棟から出られるのは入浴の時だけです。
初めて検査で下に降りたときちょうど売店の開店期間でカサブランカの香りがしたのを覚えています。他にもクッキーの香り、珈琲の香り、いろんな匂いがしました。
なんせ窓はこぶし一個分くらいしか開かないのですから何の匂いも温度もなくただただエアコンで管理された病棟で毎日過ごすのです。外の様子も気温も季節もわかりません。
何も面白くない日々でした。春から夏に変わっていく空気の移り変わり、新緑の茂る匂い、雨が降る前の土の匂い、そういったものを私は心底愛していたのです。
携帯を手にしてから私も前出の女性と同じように病室の外に出るのは洗面台から水を汲むときや携帯の充電を頼むときだけになりました。寒くて震えていたり寝付けなかったこともありますが、「隣の人が暑がりなんだよねー」の一言で済まされました。衣服では調整できず、室温さえ自由にならないのです。
毎日明日の食事メニューは何か、その表ばかり眺めていました。携帯を返す時間が来ると今日のうちに伝えておきたいことを必死で伝えるだけの日々でした。

そしてまたある日、火曜日に両親が主治医と話すために来院すると聞かされました。
このチャンスを逃したら一生出られないかもしれない、と思い必死に良心に訴えましたが暖簾に腕押し。
その夜友人とのやり取りの中でうるさく聞こえているのは私が聴覚過敏なのかも、との思いから「私は統合失調症なんですか?」とスタッフに聞きました。
「あのね、ここに入ってくる前に使ってた薬の影響で幻覚とか妄想とか出るようになってて、医療保護入院って形になってるの。」と彼女は言いました。
「治るんですか?」
「ううん、治らない。脳がもうダメージを受けちゃってるから覚醒剤後遺症っていうんだけど」
「でも5回しか使ったことないしとっくに薬は抜けてるのに?」
「1回でもなる人もいるんだよ。でも薬を飲んでれば気にならなくなる。」
検査結果もろくに見せられていない私には信じられませんでした。

「もう幻聴とかないんだけどどうしたら退院できる?」
「それは先生に今後の治療方針の希望とかを伝えたらいいと思うよ」
私は、消灯前だったにも関わらず必死になってメモを書きました。
どうにかして退院しないと気が狂ってしまう、という思いからです。

そして火曜日、朝ごはんを食べ、友人とやりとりをしてどうしたら退院できるか、どうしたらあの親を説得できるか、という話をしていました。
「本当に2度とやらないの?」と親は聞いてきました。
この期に及んで、と病室を破壊したいほどの怒りに囚われた感覚をよく覚えています。身体中の血が沸騰して脳の血管が切れるほどの怒りです。
そもそも私に黙ってたことがあり、3週間は薬を抜くために入院し、その後3ヶ月の入院で鬱病を治すつもりだと親は聞いていたそうです。
私の意志は全部無視なんですよね。
昔からそうです。良かれと思って、あなたのためを思って。その実自分が安心したいだけなのです。

昼ごはんを食べる前に帰りたいと思っていましたが無理そうでした。その日は醤油ラーメンでした。
相変わらずぬるくて麺にコシがない、まずいラーメンでした。
そのラーメンを食べ終わってから友人に「仕事として受けてほしいんだけど親を説得して欲しいんだよね」と頼みました。予算は3万でした。
両親に怒りのメールを送りつけ、そして友人と話すように説得しました(友人は予め両親と連絡を取っていました)
そうすると「○○さんはどうしてTAXにそんなに良くしてくれるんですか」というメールが届き、心底呆れました。お前らが生み出した不幸の尻拭いをどうして私たちがやらなきゃいけないんだ、という怒りです。
そして午後14時頃、これからは任意入院扱いになるという話を友人から告げられました。誰も教えてくれないからです。

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