見出し画像

不安で押し潰されそうな、小・中・高生のみんなへ。

このページにたどり着いた多くの人にとって、
「学校は楽しいけれど、夏休みは終わってほしくない。」という気持ちだったかもしれません。
今、とても苦しい。つらい。にげたい。消えたい。
そう思っている人たちは、もしかしたら
何者かもわからない人がインターネットで発信しているどんな言葉も読むことすらも怖くて、
部屋の片隅で泣いているかもしれません。
かつて 辛い思いをした経験のある わたしが
今日、このハッシュタグで 何を語れるのだろう。
昨年、秋にnoteを始めた わたしは このハッシュタグ企画を知ってから 
ずっと考えてきました。
そして、今日もずっと考えていました。
まずはじめにおわびします。
わたしがこれから書く記事は、
救いを求めている人にとって、
とても役に立つというものではないかもしれません。
あなたを励ます素敵な言葉も、うまく書けないかもしれません。
わたしの願いは、ただひとつ。
どうか生きてほしい。
みっともないくらい泣いて、地べたをはうように生きてきた
そんなわたしからの、願いをこめて書きます。
学校に行きたくない、にげたい。
そんな思いで眠れない夜に読んでくれたらうれしいです。

はじめに、簡単な自己紹介をします。
昨年の秋からnoteのまちの仲間入りをしました。
私がnoteで書いているのは、主にエッセイです。
エッセイは実際の出来事をもとにして自分自身の言葉でほぼ再現しています。
ほぼ というのは、わたしとしては 100%に近いもの。
名前や場所、仕事の名称など、わたしや家族など登場人物の個人を特定されることのないように、ぼかして書いています。
特定されることがないように書いているのは理由があります。
インターネットって残念ながら良い人ばかりではありません。
自分自身のことも、エッセイのストーリーに出てくる登場人物のことも守ろうという強い気持ちから、そうしています。

「スポーツがくれたもの」という、Panasonicさんとnoteさんの企画に応募した記事「きっかけはバスケットボール。」
を読んでくれた人は 
ほしまるって元いじめられっ子なんだ、と認識してくれているかもしれません。
その通りで、あのお話は 私の小学校時代のいじめられた経験、足を怪我した経験からスポーツを楽しむきっかけができた物語を書きました。
記事そのものには、そこまで時間はかかっていませんが
書きながら泣いていたせいか
書き終えた時には ヘトヘトに疲れていました。
実は、私の場合、書くことそのものに時間はかからずとも そこから文章を並べ替えて読みやすくしたり、分かりやすい言葉にしたり、
表現を変えることに とても神経を使います。
そのため、つらい過去の出来事のお話を書く場合は より疲れます。
けれど、明るい内容や 好きなことを語る記事でも かなり時間も神経を使っています。

なぜ、そこまで神経を使うのか?
ここのこだわりをなくしたらわたしの文章ではなくなる、といつも思っています。
「無意識でも誰かを傷つけることがないように」気をつけているためです。
言葉というのは、使い方で人を温めることもできますが、反対に立ち直れないくらい
傷つけることもできてしまうのです。
20数年前から インターネットの世界でたくさんの人と交流してきました。
文章もたくさん書いてきました。
いろんな人、いろんな言葉を見てきました。
インターネットの世界も、現実の世界と大して変わりはありません。
今、外でもみんながマスクをしなければいけなくて。
インターネットやテレビで いつも代わる代わる いろんな人たちが叩かれているように 
学校でもいじめはなくならない。
私が10代だったころから もう30年ほど
経っているのに。
当時と変わらない 悲しいニュースを目にすることも、とてもつらいです。

「つらいときは、にげよう。」
「だれかに助けてもらおう。」
「休もう。」
いじめや 不登校のテーマが取り上げられる度に言われることは そうした言葉だったりします。
にげても、つかまえられてもどされたり。
助けてくれていたはずの人が いじめる側に加わったり。
そうした時には、いろんなことに絶望してしまうかもしれません。
そして、何よりこわいことは
いじめや、つらい思いをしている子を
見ているのに 助けることはなく ただ見ているだけの人たちが存在することです。
こうした 見ているだけの人たちは
実は、いじめている側よりも ひどいことをしている、ということ。
まだまだ十分理解されていない気がします。

あなたの顔も名前も知らないけれど、生きていてほしい。
そう強く思います。
そう強く願うのは、かつてわたしも つらい日々を送っていたから。
そして。
大切な友人・親友で 、今でも大切な存在になるはずだった人を失った経験があるから。
わたしの親族は、絶望のせいで 自ら命を落としたから。
だから、わたしも未だにつらい大人です。
偉そうに、アドバイスなんてできない。
けれど、あなたたちには生きてほしい。
消えていい命なんてない。
そう思っています。

ここまで読んでくれた人はどのくらいいるでしょうか?
おそらくほとんどいないかもしれません。
1人でも読んでくれたら、それでいい。
わたしはそう思っています。
ただ、そうした文章も 人に読んでもらう以上、心をこめてしっかりと書く。
わたしの思いが届いて、また読みに来てくれる人がいたら。
そんな時は、わたしもとても喜びます。
読んでくださり、ありがとうございました。

励ましにも 役にも立っていないかもしれない。
ただ覚えていてほしい。
小学校で、そして 中学・高校でもいじめにあった。
そんな わたしは今も、今日もこうして生きています。


#8月31日の夜に

この記事を気に入っていただけたら、サポートしていただけると、とても嬉しく思います。 サポートしていただいたお金は、書くことへの勉強や、書籍代金に充てたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。