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無音という名のキャンバス

今日はスマホを家に忘れてきた。
Bluetoothを使って車内で流していた音楽も今日はなく
代わりのラジオもつけず、無音の通勤中の車内。

信号待ちの間、鳥の鳴き声が車窓越しに聞こえてきた。
市街地の道路の真ん中、鳥の声も聞こえるんだなとちょっと驚き、なんとなく窓を開けてみる。
すると窓を開けた瞬間、鳥の音だけでない、
車のタイヤ音、トラックのブレーキ音、風の音、一斉になだれ込んできた。
当然ながら、窓を閉めて音楽を聴いていたらこれらの音は全部聞こえてこない。

何気なく生きているつもりで、自然と逃していたものもあるんだな。と普段の自分の生活に顧みる
好きな音楽やラジオ、ポッドキャスト。何かしらのお気に入りの音を聞いていると
外から自然に流れてくる音に対して気づきにくくなる。
音に限った話ではない。
目にする情報にしても、スマホを見ていると遠くの情報には敏感になるかもしれないが
目の前の風景に関しては鈍感になる。

好きな音源、情報だけに触れていたら、自分の好みの色や柄で毎日を塗りたくっていて、
だんだんとその色が自分自身に沈着していく感覚がある気がしてきた。

反対に自然と聞こえてくる音は彩りも様々で、予期せぬ色彩や表現をみせてくれることがある。
もちろん、外から聞こえてくる音全てがすばらしいということではなく
クラクションや街頭演説、工事の音、雑音だって多い。
反対に、音楽だってすばらしいのはわかっている。
それでもたまには無音にして、自分のキャンバスを白くしてみてもいいのかなと思った。

用意されたコンテンツや情報は整っていはいる。それもいいけど
目の前にある意図してデザインされていない音や景色、原色を自身に流し込むのもいいのかもしれないな。
玄米の方が多少消化しにくいし雑味があるかもしれないが栄養がある。

スマホがない日もいいもんだ。どうせ持ってても誰からも連絡は来ないし。

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