「集スト」という名のNPC

ボクの(弊社の外部の)ビジネスパートナーである「思考と論理を解析するプロ」に、このところボクが遭っている集スト(集団ストーカー)的なつきまといに関して分析をして欲しいと依頼したところ、しばらくしてレポート(論文?)が届きました。

「Twitterで『石丸は詐欺師だ』と叫ぶ方々の思考検証レポート」という表題のもので、とても面白い内容なので、その著者の許可を取って共有することにしました。

これを読んで、ボク自身が「集スト被害に遭う」ということに対して非常にスッキリし、むしろこの体験を通じて巨大な学びがあったので、もし同じように集スト的なつきまといに遭っている方がいましたら、彼らの思考と論理とそこからの発信(tweet)を理解する一助になればと思っています。

一部、ボクとそのプロとの間にある共通言語が前提になっている場合があり、分かりにくい表現もあるかもしれませんが、下記、原文をなるべく忠実に再現してnote化します。


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Twitterで
『石丸は詐欺師だ』と叫ぶ方々の
思考検証レポート

~ 遠隔コミュニティがもたらす正義の思考 ~

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《 はじめに 》


本件を始めるにあたって、『石丸雄嗣』及び『石丸は詐欺師』等、関連するワードでTwitterを中心に検索をし、過去ログを含めて検索をしました。

また、当該投稿をしているユーザーの思考を分析するために、当該ユーザーの他の投稿についても確認をしました。

彼らの思考を分析するにあたっては、彼らの主張の基となる理を探ることを必要としますが、彼らの主張、その理、またその表現としての語の選択と文法、ピックアップされる投稿の傾向を含め、それらのことを判断しています。

その点において、『石丸氏がどのように感じたか(どう受け取ったか)』ということは、分析する上で考慮をしておりません。

分析の中でその点に触れることもあるかもしれませんが、それはフラットに分析した当該ユーザーの発信を、フラットに判断した上でのことであることを先にお伝えしておきます。



《 ネトウヨの思考 》


私自身、それほどSNSを利用しているわけではないので(利用していても閉鎖的なコミュニティのツールとしている)、SNSの投稿者の表現やその思考に明るいわけではありません。

そこで、他者の投稿や思想に対して否定的であるユーザーの代表格としての、『ネトウヨ』や『パヨク』と呼ばれる人たちの思考を改めて分析してみることから始めました。


そもそも、各ユーザーをどのラインでネトウヨ、パヨクとカテゴライズしていくのかということは一旦置き、そうと思われる方々の投稿の内、表現や思想に大きな偏りがある人達のコミュニケーションの特徴を文章から分析してゆくこととしました。

その結果、ネトウヨやパヨクと呼ばれる方たちのコミュニケーションにおいて、以下の特徴があると判断しました。


● 彼らは、批判する思想や対象が確定しており、それらに対して批判的であるということが固定されている。
● 上記のことから、彼らは批判の対象となる事柄に対してオートメーションで反応をするため、基本的に相手の主義主張、または表現に対する自身の理解についての理解は薄く、文章的理解をすることなく、SNS等においても所謂『見出し読み』をする傾向が強い。
● 彼らの主張の根幹には正義が存在しており、自身の批判の対象と、批判の対象となる人物や意見を擁護賛同する人たちも同様に自動的に悪として設定される。
● 自身が悪として認識する対象は、この世から排除すべき存在として設定されるため、差別的な思考にとらわれることになる。
● 対象が悪と設定されるため、自論に対して揺らぐことが無く、自身に対する質問や批判に対して、『それらに応えているつもりで自論を繰り返す』ということをほぼ無自覚的に行うため、基本的に会話にならない。(また、これに対してやり取りが長期化すると、話が通じない愚か者として相手を遮断するということを行う傾向が強い。)
● 自論に近い論を提唱する(著名な)他者の言論を用いることで、自論の正当性を担保する。その為、その他者の発言に対しては、無選別に肯定をする。
● 悪として設定した対象に、好意的に関わるものに対して、真偽が定かでないことを前提として、不確実な因果を付けることで自身の納得を得るとともに、他の賛同者もその説に盲目的に賛同をする。


上記の特徴の内、複数個を有し、積極的にSNSを含めインターネット上に自論や非難のコメントをしているものと分析、ネトウヨやパヨクと呼ばれる方たちをそのように定義づけることとしました。



《 Twitterで『石丸は詐欺師』という人達 》


あらためてTwitterを確認したところ、『石丸は詐欺師』と言っている人達は、私の思っていた以上に少ないと感じました。

実際にTwitter上で継続的に『石丸は詐欺師』という主張で投稿をしている人物は5名~6名。

複数のアカウントで投稿をしている人が1名。

内藤氏及び望月氏の団体に、自身の知人が金銭的な被害を与えられた(と当人は思っている)人物は1名。

と判断しました。


彼らの、投稿の特徴は上述したネトウヨのコミュニケーション傾向と比較したときに以下の特徴を持っていると言えます。

◇ 彼らの共通した主たる対象は、『内藤氏』のコミュニティと、その資金機構としての『望月氏』に対するものであって、それ以外の事柄に対しては、非難や誹謗をほとんど行わない。
◇ 彼らは、基本的にマルチ商法や偽カルトのようなもの自体に対しての嫌悪感を有していて、その対象としての『内藤組織』が該当したようにうかがえる。
◇ 内藤組織の幹部メンバーの言論は注視しているが、内藤組織に関係のない発言に対しての非難や差別的言動は見られないため、記事の内容を確認しており、理解と選別をしていることがうかがえる。
◇ 内藤組織について、一般的なマルチや偽カルトのようなものの例を当てはめがちではあるが、不可解な因果付けをしていることは確認できなかった。

以上の特徴を持っていることからも、彼らがネトウヨと言われている無思考状態でもなければ、妄信的な無思考状態でもなく、さらには依存という無思考状態でもないネトウヨやパヨクと呼ばれる方たち分析の対象となりうる、一定程度まともな思考状態であると判断でき、以降のステップへと進んでいけることが確認できました。



《 彼らの持つ前提条件と思考 》


思考における前提条件とは、印象や偏見だけでなく考察結果を含む確定要綱や倫理的な規範が、思考に入る前段階として設定されていることがあり、これらのことが良くも悪くも彼らの思考と結論を強固なものとしています。

この前提を持つこと自体は当たり前のことではあるのですが、このことが彼らの思考における検証能力を低下させることにもつながります。

(まぁ、これを全くなくすことは、ある種の変態でないとできないと言えますが、彼らは思考が出来なくなるほどの前提も持っていないと言えます。どちらにせよ正方向に振り切ると無思考になります。)


まず彼らの投稿には、政治的な派閥や、思想的な派閥のようなものは見受けられません。

Qアノンやパラディンといったチャンネルの発言内容に対しても、懐疑的ではあるものの、前提としてのアンチテーゼというスタンスは取っていないようにも見受けられます。

もちろん、Qアノンやパラディンというチャンネルの論調は、現在の常識の真裏を行くものですから、多くの人にとって懐疑的になることは通常の反応だと言えます。

その点においても一定の冷静さを持っていると観測できます。


一方で彼らは、内藤組織に対しては非常に強く嫌悪感を示します。

これは、彼らの中で、内藤組織に対してマルチや偽カルトであるという疑惑が強固に設定されてしまっているからだと考えられます。

この点に関しては、ステレオタイプ的なイメージの構築も確認できますが、実際の内藤組織の外見に以下の特徴をもってイメージを固めていったものと想像出来ます。

つまり
・中心且つ象徴的な個人が存在する
・真偽の確認が不可能な非常識論
・啓蒙活動可能な仕組み
・参加者に対する金銭的な利益をうたう
・組織が金銭的利益獲得構造を有している。

以上のことが、内藤組織の外見にはそろっている点で、疑わしいものが、典型的な外見を持っているということで、彼らの想像を確信に至らしめたということになっています。


故に、彼らの認識のうえで、内藤組織に関わる人たちを(荒っぽくも)整合性を持った二分化をすることに至ります。

この二分化は、思考が鈍い状態に起こりやすく、『信じたいものを信じている』というときや、『結論が先にある』という状態に陥っているときに発生しやすく、【検証】や【考察】といった思考や、【人情】や【恩】や【感謝】というポジティブな感情を奪うということを起こします。


このとき彼らが内藤組織に行った二分化は、【加害者】と【被害者】という形になっていると分析できます。このとき彼らが内藤組織に行った二分化は、【加害者】と【被害者】という形になっていると分析できます。


彼らの中では、内藤組織がマルチや偽カルトと決定されましたので、この二分化は合理的で論理的であるということは疑う余地がありません。

また、この二分が示すものは、表記されている語義だけでなく、『悪の組織と知っていて積極的に加担しているもの』と『悪の組織とは知らずに加担してしまったもの』という意味合いを持っていると読み解けます。

これらのことは、内藤組織の動向を注視する中で生まれるものであったとは思いますが、その中で疑惑が確信になり、その確信を基に事実を因果付ける(設定してある確信へ向かう整合性)ということを行ってゆくため、雪だるま式に確信は強く視野は狭く、『思考はすれど演算はせず』という状態をより強固なものとしてしまった、ということが起こりました。



《 なぜ石丸雄嗣に非難が集中したのか 》


色々と調べてみると、内藤組織の動向や情報を直接的に確認する方法はそれほど多くないと言えます。

内藤組織に参加していた人の投稿が少々見られるくらいのもので、内藤組織がオープンな広報活動をしているとは言えないと感じられます。


日野女史をはじめとする、当初から内藤組織に関わる方々は内藤組織に関する情報発信について定型文的なことが多く、それほど頻度が高いとも言えない状況です。

それに比して、石丸氏はオープンな情報として、内藤組織、特に望月グループの活動や情報、また彼らと考え方を同じくした発信を多くしていたと考えられます。
 

このことが、内藤一派の石丸雄嗣という人物に注目を集め、石丸氏が内藤組織(望月サロン)の主要メンバーに名を連ねていたことで、Twitterユーザーに『熱心な内藤信者(被害者の一人)』ではなく、『実情を知って広報しているメンバー(加害者の一味)』として認知され『石丸雄嗣は内藤組織のスポークスマン』という立場を確定させたと考えられます。


また、後付け的な思考にはなるのですが、石丸氏が外貨取引について投稿していたことや、内藤組織の主張を多岐にわたる分野において関連付けて投稿していたことによって、彼らにとって内情が推し量れなかった部分においても、彼らの想像を確信に変える材料になったと考えられます。



《 彼らの信の思考構造 》


ここまでは、彼らの思考が結論を出すために必要となった外見上の要素を列挙してきましたが、ここからは彼らの思考の内部を少し考えてゆきたいと思います。


彼らの中で、当初からどれだけ内藤組織に対する疑惑があったのかどうかを判別することはできませんでした。

内藤氏の過去について多少記述があるものも存在しましたが、それほど盛り上がっている訳でなく、その点においては疑惑のままで保留状態になっているように感じられました。


しかし、現内藤組織が悪の組織であるということは、彼らの中で確信のできることとなっていて、ゆるぎないものとなっています。

あらためて整理すると以下のような矛盾が生じていることが確認できます。

① 彼らは、想像の部分において、飛躍を含む過度な妄想にとらわれることなく、一定程度の節度をもって情報の精査を行っているように感じられるが、定型的な情報に対してはその真偽を含め考察することをせずに真実であるという思考に陥っている点。
② 彼らは、疑わしいと思っている相手の情報をチョイスしているが、その情報の真偽を確認するということをしていないように感じられる点。


これらのことに共通するのは、理性的に情報を選択しているが、それはチョイスの段階の話であって、チョイスした情報自体の精査を論理的に行っているわけではないということが起こっているということになります。


この矛盾を生み出しているということと、この矛盾に気づけなくなっているということがまさに彼らの思考の核たる部分にあたります。


では、なぜこの矛盾が生まれるのかということですが、彼らはその言動から内藤組織が悪であるということを信じていますし、内藤組織のしていることが悪であるということを認識していますが、その悪を積極的に打倒しようということはしません。

もちろん彼らは一般人であって、大きな権力を持つわけではありませんが、それなりの行動はできるにもかかわらず、それには至りません。

また、彼らのTweetはTwitterという拡散機能に比して非常に内向的な指向性を持っていることも特徴として挙げられます。


語の選択や、文章の構成としては、文字数制限のあるTwitterとはいえ『内藤組織のことを知っている人にしかわからない』文章で構成されている点から、閉鎖的なSNSのように、自身のコミュニティに対しての発信に終始しているということが確認できます。これは、彼らの書いている文章の内容とは大きく異なる点として顕著に確認することが出来ます。

これを、彼らが自覚をもってやっているかというと、そうではないと推察できます。

もし彼らが自覚したうえで内藤組織の撲滅に向けての相互協力として、コミュニティ内の人間に話をしているとすれば、個々人のやり取りを含めコミュニケーションやその方向性を持った、人称や宛て、名詞や代名詞が使用されるものですが、(何々さん、や、この方、といった相互に対する人称や呼びかけ、またはその方向性を持った文章構成がなされる)そういった点は全く見られることはなく、あくまで自身の説を裏付けるための外部情報としてのリツイートやスクショの添付ということに終始しているという特徴からも推測できます。

故に、彼らは世の人の多くに内藤組織の悪を知らしめたいかのような体をとっていますが、その実は無自覚に内藤組織に対してのアクションを起こす気は毛頭ない、と予測することが出来ます。


つまり、彼らにとっての内藤組織は悪であって、そのことは彼らの価値観において許されるべきではないことして存在しているわけですが、その実『許せない対象として存在しているわけではない』ということになろうかと思います。


このことから、彼らは、【彼らの価値観や視界から見える内藤組織の悪を表面化すること、もしくはそのために確度の高い想像を交えて形成すること】と、【内藤組織の行っていることの事実解明や撲滅を望んでいるわけではない】ということの双方のことを同時に行っていることになります。



《 彼らの思考のまとめ 》

彼らが、何故内藤組織に対してこのような反応になるのか。ということを考えたときに、いくつかの推察はできますが、語の選択や文章の構成から総合的に判断し、以下の推論が最も可能性が高いと感じられます。

● 彼らは、絶対悪を設定することで、『自身のまともさ』や『正しさ』を実獲得できているという錯覚に陥っている。
● 彼らの対象となる絶対悪は、秘匿されたブラックボックスであることが彼らの望みをかなえ続けることが出来る。
● 絶対悪の存在が、世の多くの人達にとって理解できないことである方が、彼らの望むトランスにあり続けることが出来る。
このことは、広くその存在を流布するということを、流布しない程度に行うことで(または、流布しても広がらないということ)で、自身のみが(自分達)世の中(他の大勢)よりも高尚でまともな存在であるということの証明と出来る。
● 絶対悪の存在は、嫌疑ではなく絶対悪として設定されているため、絶対悪の実態が善悪どちらであるということが判明しても、彼らにとっては自身の優位性を高めることが出来るロジックを有している。
◇ 故に、彼らは自身の考察確度の是非を検証するという段階においても、情報選択の時点で結論へのバイアスをかけて情報取得しているということと、自身にとって信じたい内容を情報としてチョイスしているということが発生していて、『何を信じられるのか』ということを『何を信じたいのか』ということで行っているという破綻をきたしているために、破綻していても破綻していないこととなるロジックの獲得に成功していると考えられます。
◇ 故に、内藤組織の動きが見えなくなれば、自身の為に飛蝗の如く他の組織へと関心を向けると考えられます。
◇ 余談ではありますが、これらの思考を獲得するまでに至った彼らの思考は、彼らが悪とするようなカルトやマルチといった集団が、ごく一般的に実施している思考への誘導とほとんど同じという悲しい話もあったりします。

もちろん上記のような集団は、色々な手法でその思考へと導くのですが、彼らはそこへ自ら入るということで、誰の手も借りずにその思考へ至っています。


彼らは、一見バランスを欠いたこの思考へ至ることで、自身のバランスを保つということを行なえる状態にあるのだと考えられます。

上記において最も重要なことは、彼らはある種のトランスを望んでその状態を疑似体験できているということにあります。

通常、トランスとは脱思考状態なので彼らはあくまで疑似体験的であるという表現になります。

彼らは他者批判をすることによる自身の優位性の獲得ということを、対象に「基本的に悪であろうモノ」を選定することで、他者批判をしている自身の悪から回避するということを行っています。

その為に、対象は絶対悪である必要があり、実は対象が悪でなかったということが実際に発生しないための方法も理屈も整備されています。

『人体実験も凶悪犯に行うのであれば許されるであろう』という理屈に似ていると言えます。


彼らの欲する優位性とは、ネトウヨやパヨクと言われる人たちとその点においての根源は同じと言えますが、彼らよりも理性的で知性的であるということを担保した表現になっていることでより強く優位性を獲得できるタイプなのだと考えられます。

『他の人はだまされている』
『俺には見抜けている』
『自分は彼らより賢い』
『相手のロジックは、手に取るようにわかっている』

このような感覚が、彼らの安定のためのトリガーになっていて、このトリガーは対象者のアクションは必要とするものの、他者からの関与を必要としないで簡単に弾けるために、彼らにとって非常にリーズナブルなものであると言えます。
 
この背景には、彼らが自身へのコンプレックスとして、無自覚領域においても自覚領域においてもこれらのことを、他者からの評価として抱えている状態にあるのではないかと推察されます。

その反発として、「主張として選択された方法」としての今回があるように思えます。


ですので、ある意味で理性的な彼らが、自らの矛盾に気づけないということも、本質的には気付きたくないということが生み出していることだと考えられます。


この壊れた思考を獲得するにいたる背景には、それなりの理由があるのだと考えられますが、その多くは現在の日本が抱えている思考の潮流が彼らのバランスを壊しているのだと考えられます。

彼らも一種の被害者で、その思考状況はカルトやマルチの被害者とほぼほぼ同じ状態にあるということが何とも皮肉であるなと感じられます。


                               以上


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