「君たちはどう生きるか」
「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃げてきたのでしょう。宮崎駿も執着しているらしき、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」の、色付けを排したニュートラルな人間平等の「世界」への憧れが、未だに身の内にある気がします。
それは、人間は皆平等であり、まっとうに嘘をつかず、人を差別せず、互いに理解し合って生きていけば、きっと世の中は良くなっていくはずだ、といった倫理観を少年の心に植え付けていったのだと感じています。美しい見果てぬ夢のように。
老人となった今も、それは無為の釈明と諦観となって、夕照のように遥かに疼いているかのようです。
いかに生くべきか問いつつ終(つひ)の道 茶半