闇は光を理解しなかった

ある日、ある男の子が産まれた。
その男の子は、千里という女性の孫で、祈りという名だった。
千里は孫が産まれたことをとても喜んだ。

ヨハネによる福音書1:5と虹十字架



祈りは、父からも母からも、両方の祖母と祖父から可愛がられてすくすく育った。祈りは、千里のことが特に大好きだった。子供たちの未来のために奮闘している祖母だと祈りは思っていたから。


 そして、高校生になった祈りは、勇気という名の男の子の隣の席になった。祈りが内股で歩いていて同級生からかわれていた時には、祈りを守ってくれた。それに、祈りにだけ優しいのではなく、困っている人がいたらすぐに助けるし、感謝されなくても怒ったりしなかった。
祈りは勇気が何をしてるか気になるし、ドキドキして眠れない夜があった。だから、勇気は大好きな祖母に相談してみた。

すると、祈りは祖母から、「それは恋だね。祈りは、恋するようになったんだ。良かった。どんな子か見たいので、祈りの誕生日にでも、家に連れてきてほしい。」と言われた。
そして、祈りは勇気を家に連れてきた。
そして、勇気は、「はじめまして。勇気と申します。祈りくんから誕生日会に招待してもらい、やってきました。」と言った。

千里は祈りに、「あなたが恋してるのは、男の子?ありえない。同性愛は罪深いことなのよ。」と言った。
すると、祈りは、「えっ?どうして?聖書のどこにも同性愛は罪深いなんてないよ。」と言った。
すると、千里は、「レビ記18:22とローマ1:26-27を読めばわかるわよ。それにしても、孫がよりによって同性愛者だなんてほんとありえない。私は絶対認めないからね。」
すると、祈りは、「レビ記18:22にあるのは、男が女と寝るように男と寝るならであり、よくて男性間性交。それに、ローマ1:26-27を同性愛だなんて、ローマ1:21等の箇所を無視したこじつけにも程があるよ。それにね、勇気くんは、困ってる人がいたら助けずにはおれない優しい子なんだ。まるでイエス様のようだし、だから、僕は彼に恋をしたんんだよ。」
すると千里は、「何がイエス様のようよ。イエス様は、同性愛者なんかじゃないわよ。」と怒鳴った。
祈りは、泣き出してしまった。

それを見ていた勇気は、「恋した相手が同性だということで罪に定めて苦しめるために聖書を開くのは、隣人愛に適ったことでしょうか?」と千里に聞いた。
すると、千里は、「レビ記18:22とローマ1:26-27を読めばわかりますよ。あなたは、キリスト教徒なのですか? ではないなら、口出ししないでください。」と言った。
すると、勇気は、「まだ洗礼を受けていませんが、教会には通っています。」と言った。
すると千里は、「未洗礼の者が口出ししないでください。」と言った。
すると勇気は、「あなたは精神的暴力を愛と言っているのであり、ローマ13:10には、愛は害を与えないとあるので、口出しせずにはおれません。」と言った。
すると千里は、「あなた、何様なのよ。私の可愛い孫をたぶらかしたのは、あなたでしょ。きっとそうに違いない。あの祈りが、同性愛者だなんておかしいと思ったのよ。」
祈りは泣きやんで、「おばあちゃん、僕はあなたが子供たちの未来のために奮闘している地方議員だと思って尊敬していた。でも、僕が同性愛者かもしれないとわかると罪だと言い僕の意見を聞こうともしない。それに、勇気くんの反論と批判も聞こうともせず言いがかりさえつけている。もううんざりだ。」と言った。
そして、祈りは祖母との写真などを破り捨てたり、祖母に買ってもらった服を引き裂いた破り捨てた。
千里は、「ぎゃあああ」と叫んで、祈りを殴った。
そして、勇気は祈りを助け出し、そこから出て行った。
勇気はとりあえず、通っていた教会の牧師に相談した。
そして、勇気は牧師に、「一晩でいいので、祈りを泊めてやってくれませんか。このまま帰宅させれば、祈りの祖母に何をされるかわかりませんから。」と言った。そして、祈りは一晩、教会に泊まることになり、教会に泊まることになったと牧師は連絡した。
すると、千里は孫を取り戻そうと、教会にやってきた。
それで、牧師は千里に会って話すことになった
千里は、牧師に会って、「私の孫を返して下さい。何の権限でこんなことをするのよ。」と言った。
牧師は、「権限はありませんが、状況が状況ですので、祈りくんを保護しているにすぎません。あなたが行った宗教的暴力と暴行について反省しないならば、今晩だけとは言わず、ずっと返すべきではないという以外ないです。」と言った。
千里は、「はぁ?何様なのよ。この新米牧師が。誰の金であなたは食ってるんですか?」と言った。
牧師は、「もちろん、あなたの献金も含まれていますが、他の信徒からの献金でも食べています。ですので、祈りくんのような子を保護するのは牧師として当然のことですし、もちろん同性愛者への宗教的差別を平然と行うあなたのような人を導き教えることもやらなくてはいけません。それを期待されて、信徒たちはお金を出してくれているはずですからね。」と言った。
千里は、「上から目線で何なんですか。ほんとあなたは出来が悪い。前の牧師の方がよかったわ。」
牧師は、「出来ならば、そうですね。あの牧師に優る人は、そう簡単に出てこないでしょう。あの牧師は、箴言31:9をモットーにして、日々奮闘している人でしたし、あの牧師が今回の一件を知れば、祈り君を保護し、同性愛者への偏見で凝り固まっているあなたのような信徒を非難しつつ、教え導くはずです。」
それを聞いていた祈りは、千里が怖かったが千里と牧師の前に出てきた。
そして言った。「おばあちゃん。僕の意見を聞こうともしてくれないし、勇気くんの反論や批判もはねつけるので、あなたとの写真やあなたからもらった服などを破り捨てたのは悪かったと思うが、あれくらいしないとどれほど傷ついているか伝わらないと思ったからです。それなのに、あなたは殴ったし、牧師には悪態ついてる。優しい祖母に戻ってよ。」
千里は、「同性愛は罪深いのよ。ありえないの。祈ってなおしましょう。」といった。
牧師は、「それは、教会が犯してきた罪の一つです。それにそんなことをするのを、カナダなどは人権侵害として禁じています。愛は害を与えないのだから、そんなのやってはいけません。」
千里は、「私の孫なのよ。口出ししないでくれる?」といった。
そして、前の牧師が通りがかって、勇気から事情を聴いた。
そして、前の牧師は、「千里さん、お元気でしたか? とても優しいあなたが、どうしてあんなことを孫とその同級生にしたのですか?」といった。
千里は、「同性に恋をするなんて、ありえないからです。同性愛は罪深いことでしょ。同性愛は治すべきですし。」
前の牧師は、「それは教会が犯してきた罪です。今ここにいる牧師さんは、そのことに詳しいので、あの牧師から教えていただくと良いと思いますよ。」
千里は、「あの出来の悪い新米牧師に教えてもらえですって?あなたなんなのよ。信頼してたけど、もうやめるわ。」といった。
前の牧師は、「どうぞ、私なんかを信頼せず、イエス様に信頼し、イエス様に従う者であってください。イエス様は神の子であり、詩篇103:6には、主は全ての虐げられている人々のために義と裁きを行うとあります。あなたは、孫が同性に恋をしたとして、慌てふためき、同性愛者への差別的聖書解釈を持ちだすだけでなく、暴行も行っている。それを知ったイエス様が、あなたの宗教的暴力と暴行について正当化してくれるでしょうかね?」といった。
千里は、「私はキリスト教徒ですから、大丈夫ですよ。あなたなんて信頼してないのだから、失せてくれますか?」といった。
前の牧師は、「失せる前に、一言言っておきます。神にはえこひいきがなく、全ての虐げられている人々のために義と裁きを行われるのだから、虐げられてきた同性愛者のためにも神様は義と裁きを行いますのでね。キリスト教徒だからは、何の免罪符にもなりませんのでね。」
千里は、「そうですか。では、ここの教会をやめて、違うプロテスタント系かカトリックにでも行きます。」といった。
そして、千里はあるプロテスタント系諸派の信徒になった。
祈りくんを保護した教会には、その話を聞きつけたゲイだけでなくレズビアンなどもやってきたし、難民もやってきたし、セクハラで苦しみ抜いてきた女性などもやってきた。そして、礼拝で話される内容によって勇気づけられたり、癒されたり、具体的な支援を受けて帰っていた。
それから、3年経って、千里がいるプロテスタント系諸派の牧師は、ゲイであることと、恋人がいることを告白した。半月後にレインボーパレードがあるので、教会単位で参加することも発表した。
それを聞いた千里は、「同性愛は罪深いことです。よりによって牧師が同性愛者だなんてありえない。」と牧師に向けて言った。
そして、牧師は、「ありえないとは一体、どういうことですか?」と聞いた。
すると千里は、「レビ記18;22とローマ1:26-27と第一コリント6:9-10を読みなさい。牧師なら知ってるでしょ。」といった。
すると、牧師は、「そのレビ記の箇所は、よくて男性間性交ですし、使徒の働き13:38-39とローマ3:20-28があるので、何を言っておられるかよくわかりません。それと、ローマ1:26-27ですが、ローマ1:21-23からして同性愛者ではないですね。私は神を知っていますし感謝もしていますし、あなたもよく知っているように、自らを愛するように隣人を愛しています。」といった。
すると千里は、「私に説教しないでください。汚らわしい。」といった。
すると牧師は、「そうですか。レインボーパレードは教会単位では参加しますが、参加されたくない方はしなくて結構ですのでね。」といった。
すると千里は、「当然よ。そもそも、教会単位なんてありえないわよ。教会に泥を塗らないでもらいたいですね。」といった。
古くからの信徒である信子は、「牧師さんから同性愛者だと聞いて、正直びっくりはしたけど、レインボーパレードに参加すると聞いて私は喜んでいるのです。かつての教会が犯してしまった罪を告白して彼らに赦してもらい、和解の機会が与えられるかもしれないのですから。」と言った。
すると千里は、「なぜ同性愛者に赦してもらわないといけないのよ。謝ってほしいのはこっちの方よ。私の大事な孫をたぶらかした同性愛者がいたし、同性愛を治るように祈ろうとしたら止めた馬鹿な牧師がいたんですよ。私は被害者よ。」といった。
レインボーパレードに初参加のこの教会の牧師から勇気と祈りが呼ばれていたので、彼らがやってきた。
千里は彼らを見るなり、「なぜあなたがここにいるのよ。近寄らないでよ。祈り、返っておいて。殴ったのは悪かったわ。でも愛しているからよ。」と言った。
信子は、「えっ?殴ったですって?どういうことなの?あなたから聞いたのは、レビ記18:22と関連個所を言ったら、孫が出て行ってしまったし、怒鳴り散らした牧師がいたのでこちらの教会に移ったということだけでしたよね?」と千里に聞いた。
千里は、「言ってなかっただけです。」と言った。
信子は、「あなたは不誠実です。それに、愛しているから殴ったって、ローマ13:10に、愛は害を与えないとあるのに、おかしいです。あなたが悔い改めて、彼らに赦してもらい、ここで和解できることが起きることを私は期待しています。」と言った。
千里は、「何がわかるのよ。あなたには孫はいないでしょ。孫は目に入れてもいたくないほどかわいいのよ。だから、同性愛は罪深いのだから治さないといけないのに、私との写真や私があげた服を破り捨てて抗議したから、殴ったのよ。あれはやりすぎ建ったけど、愛の鞭よ。」と言った。
信子は、聖書で軽く千里を殴った。
千里は、「なぜ殴るのよ。私が何をしたっていうのよ。」と言った。
信子は、「あなたの理屈では、愛の鞭になるはずですよ。甘んじてその暴力を受け入れるか、その考え方が誤りだと認め、害を与えてしまった彼らに謝罪してゆるしてもらいなさい。」

祈りは、「謝罪したとしても、赦せるかわかりません。この3年、ずっと赦せるように導いてほしいと神様に祈ってきたけど、僕の愚かな祖母は頑なで偏見まみれのままですから。あの一件で僕の祖母は、僕を愛してたのではなく子孫を残し、系図を維持するコマだから愛してたとわかりましたから。」と言った。
勇気は、「僕は彼を愛しています。だから、異性愛者の皆さんと同じ権利を得たいと考えているのです。それで、レインボーパレードに参加を考え、プロテスタント系の諸派であるこちらの教会の牧師さんがゲイだと公言し、これまでの教会の罪について告白し赦してほしいとまで言っているので、共に歩むために来たのです。」
信子は、「その日がやってきて、私は喜んでいます。私は親やテレビなどが言ってることで同性愛者への偏見を持ち、同性愛者の兄弟姉妹を排除・差別することに加担しながら、それでいて自分はキリスト者として完全だと思い込んでいた時期があります。牧師がゲイだと公言し、レインボーパレードに教会単位で参加すると言った時に、私は和解の機会を神様が与えてくださったと思ったのです。」と言った。
千里は、「古くからいるからといって、教会の信徒代表面しないでもらいたいですね。あなたより私の方が聖書をよく知っています。原典でも読んでいますからね。」と言った。
牧師は、「千里さん、あなたは原典までよく読んでおられるそうですね。それはすごいことです。では、聖書のどこに同性愛は罪深いとあるのか教えてほしいのです。英語のhomosexualityの元となったドイツ語であるHomosexualitätが印刷物に初めて登場するのは1869年のことです。かつては、ソドミーなどと言われていたのを カール=マリア・ケートベニーというオーストリアハンガリー帝国のジャーナリスト、回想録作家、人権活動家だった方はその造語を行い、ソドミーに代わる用語を使ったのです。ですから、同性愛は罪深いなんて聖書のどこにもないのですよ。」
千里は、「ローマ1:26-27に恥ずべき情欲とあります。」と言った。
牧師は、「ローマ1:21-24もちゃんと読んでいいましょう。あなたも知っている通り彼らは神を知っていながら神に感謝もせず、その思いも空しくなりとあり、その情欲に引き渡されたとあるんですからね。祈りくんと勇気くんと、祈りくんを保護した牧師についてはよく知っています。何もできず沈黙して差別言動をやり過ごすだけだった小心者に過ぎなかった僕を奮い立たせてくれたたし、卑怯にも黙っていた僕を責めることはしないでくれました。彼らの言動はインマヌエルという以外ないのに、どうしてローマ1:21-24にあるような人たちですか。目の前にいる彼らをちゃんと見なさい。」

千里は、「子孫が途絶えるなんて、ありえないわ。」と叫んだ。
信子は、「不妊の女歌い喜べとイザヤ書54:1にある。あなたのように系図が維持されることにばかり目が行き、目の前の孫を愛そうともしない人には神はわかりません。神は愛だからです。それに、神には偏愛がないのに、あなたは異性愛者の孫なら愛し、同性愛者ならば愛そうとはしないのですから、神から離れてしまっています。主に立ち返ることを祈っていますよ。」と言った。
祈りは、「信子さんのような人が僕の祖母だったらよかったのに。」と言った。
信子は、「私は同性愛者を笑いものにするのを平然と見ていたし、笑ってもいました。レインボーパレードに参加するというので、牧師さんから資料をもらって勉強して、過去の私がいかにダメだったかよくわかったのは最近です。こんな私が祖母だったらよかったなんて言われるなんて思いもしなかった。」
千里は、「あなたさ、孫がいないからって、私の孫を取らないでよ。」と言った。
信子は、「私はあなたの孫を取ってはいません。あなたがあなたの孫を差別し家におれなくしたにすぎません。でも、その教会の牧師が保護し、恋人とも続いていて、あなたから受けた傷も癒えているようなのは、どんなに良いことでしょうか。」
千里は、「教会をむちゃくちゃにしないでよ。」と叫んだ。
そして、「それはあなただ。ヨハネによる福音書1:5に、闇は光を理解しなかったとあるが、その通りだとつくづく思う。まさか、僕の祖母がその闇に入ってしまってるとは思いもしなかったけどさ。」と祈りは言った。
千里は、「何ですって。もう一度言ってみろ。」と怒鳴った。
祈りは、「何度でも言ってあげますよ。闇は光を理解しなかった。」
千里は、祈りを殴ろうとしたが、その一部始終がネットで配信されていて、千里はネットで大炎上した。しかし、地方議会では無風だった。それで千里や大人たちに騙されてたとわかった子供たちは、10人ほどで千里の自宅に行って、「嘘ついてたなんて、あなた酷い人ですね。責任取ってよ。」「子供たちのために、お前が黙ってろや。あっ、黙る前に傷つけた人に謝罪してね。赦してもらえるまで謝罪するんだよ。わかりましたか?おばはん。」「殴ろうとするって、怖い人だね。もしかして、ヤクザ者なの?」「~町内の皆さん、ここに偽善者がいますよ。騙されてはいけませんよ。」「知り合いの牧師に聴いたら、かつての教会が犯した罪を濃縮し、悔い改めもしない人だと言ってました。罪を告白して赦されるんじゃなかったっけ?あなたみたいなのは教会に泥を塗ってるんだから、キリスト教徒をやめてくれますか?」と口々に言ったとさ。
そして、千里は、「このクソガキが。ふざけんな。万軍の主が私にはついているんだぞ。」と叫んだ。それがネットで中継されて、醜態をさらしたとさ。でも、議会では、差別はいけないというだけで声明や意見書を出すことはなかった。それで怒りが収まらない子供たちは、千里の自宅の周辺を抗議デモして回ったり、批判ビラを町内にくばり、親にはあの人に投票したら親子をやめると言ったり、議会前で抗議街宣を実施した。それでようやく、地方議会が動き、追及質問や差別を許さないとする声明などを出した。それで、子供たちは抗議などをしないとろくに動かないのが議会だとわかり、選挙に行くだけでなく日頃から政治にかかわり続け、要求が通るまであの手この手で闘い続けるることが大事だとわかって大人になっていったとさ。

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